新元号が発表される4月1日が近づいてきました。天皇陛下は、昨年12月24日の記者会見の席上で、「平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに、心から安堵しています」と述べられましたが、確かに、近代天皇制が確立してから後の、明治、大正、昭和という3つの時代は、「戦争」に翻弄(ほんろう)されてきました。これに対し、ようやく平成という時代が「平和」のバトンを持ってスタートし、いよいよ次の走者にそのバトンが手渡されることは、本当に喜ばしいことです。ぜひこの格好の機会に、元号について学び、元号、そして日本の将来像を考えていただければ幸いです。

■「一世一元制」は、伝統的な元号の姿か?

 第2回でお話しましたが、日本では明治天皇以後、1人の天皇につき元号が1つという「一世一元制」になり、昭和54(1979)年に可決成立した元号法にも「(2)元号は、皇位の継承があった場合に限り改める」という一文が盛り込まれて、この「一世一元制」が確立しました。

 その一方で、第1回でお話したとおり、元号発祥の国・中国では、正確な記録が遺されている唐の建国(618年)から清の滅亡(1911年)までの間に用いられた元号は189を数えていますが、日本では、最初の元号とされている「大化」から「平成」までの間に用いられた元号は、なんと「本家」中国のそれをはるかに上回る247を数えています。

 この数字は、中国が「一世一元制」を基本に元号を使用してきたのに対して、日本では古代以来、1人の天皇が複数回の改元を行ってきたことを示しています。つまり、日本では、現在の「一世一元制」は、必ずしも日本における元号の伝統的な歴史とは相容れないものであることを物語っています。

 ちなみに、明治天皇の父・孝明天皇は、御存知のように「嘉永」、「安政」、「万延」、「文久」、「元治」、「慶応」と、17年の間に6回の改元を行っています。

■災害後の改元が多かった日本

 それでは、どうして日本ではこのように改元が多く行われたのでしょうか? 東京大学名誉教授の保立道久氏によれば、10世紀以降、幕末までの改元約200回のうち、その約半数は地震等の災異後にこれを祓うために行った改元(災異改元)であったようです(「文化の扉 元号 1300年超の歴史」『朝日新聞』2019年3月11日朝刊記事)。明和9(1772)年、江戸の3大大火の一つであった「明和の大火(目黒行人坂大火)」が生じ、約1万4700人が亡くなりました。

 この時、「明和9年」は「迷惑年」とも読めるため、12月10日に「安永」と改元したことは、あまりにも有名です。平成23(2011)年の東日本大震災の直後に、改元を希望した人も多かったのではないでしょうか?

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