■花には神や祖先の霊が宿る?

まさに民族的行事といっていいお花見。しかし、もともとは宗教的な儀礼であった。

 

 花見の起源は嵯峨天皇にある――という説は、ウィキペディアに書かれているせいか、近年よく聞くようになった。
 もともと日本では花といえば梅のことで、『万葉集』にも100首を超える梅の歌が載せられている。

 梅と桜の立場が入れ替わったのは平安初期。10世紀初めに成立した『古今和歌集』では桜の歌が梅の歌の3倍近く収録されている。
 この逆転劇に一役かったのが嵯峨天皇で、弘仁3年(812)に京の神泉苑で花宴の節を催したのが桜を観賞する花見の始まりだともいわれる。

 ただし、これは上流階級での話だ。
 庶民、とくに地方の農民たちは花を歌に詠むといった風流なことはしなかったが、花見はやっていた。
 重要な年中行事の1つだったからだ。

 現代の花見は公園や川辺、街路樹の桜を見物するのが主流だが、公園も街路樹もなかった時代、花見は山に行って行うものであった。
 田や畑の近くに見事な桜があったとしても、山に行ってやるものであった。

『東都歳事記』より「墨田川(隅田川)看花」

 

 なぜか――

 祖先の霊を迎えるためだ。

 かつて日本人は死者の霊は山に帰っていくものだと考えていた(海辺の地域では海の向こうと考えていたところもある)。これを山中他界信仰という。
 高野山(和歌山県)や山寺立石寺(山形県)の周辺に残る、遺骨の一部を山上の霊域に納める習俗も、山中他界信仰に基づくものだ。
 祖先の霊は年に数度、そうした山の霊域から子孫のところに戻ってきて、歓待を受ける。

 お盆は迎え火、正月は門松を目印に降りてくるのだが、子孫のほうから迎えに行くこともある。
 山に迎えに行った者は花に祖先の霊や祖神の神霊を宿らせて連れ帰る。そして、神棚や床の間、仏壇で祀るのである。
 ここで注意しなければいけないのは、「花」にはアオキ・サカキ・シキミといった常緑樹の葉も含まれることだ。
 ご存じのようにこうした葉は、神前や仏前の供え物とされる。これは、これらの葉が霊を宿らせる依り代であったからだろう。

 祖先の祀りは、時として自宅ではなく、山中で行われることもあった。
 桜などの花木の下にご馳走や酒を供え、迎えた祖霊や神霊とともに飲食をするのだ。

 つまり、これが花見なのである。

 なお、かつては散る花に乗って疫病が広まっていくと考えられていて、これを防ぐために鎮花祭(ちんかさい、はなしずめのまつり)・華鎮祭(けちんさい)が行われた。

 今も奈良県桜井市の狭井神社(4月18日)や滋賀県大津市の長等神社(今年は4月14日)などで執り行われている。