2010年代末、世界はみな疲れている(後編)
「疲れの三すくみ」の根源たる戦後平和主義を脱却できるか
■どちらに転んでもおっくうな時代
まずは記事前編のおさらいと行きましょう。
(1)「疲」の字は本来「しゃんと直立できず、ぐったりと曲がってしまう」さまを表している。物事がいくら頑張っても思い通りに

ならず、失敗に終わってしまうとき、人は疲れてしまうのだ。
(2)国や社会のあり方をめぐる路線についても、人々は行き詰まりを感じれば疲れる。現在の世界で、そのような疲れを引き起こしている路線の代表格こそ、グローバリズム、および新自由主義にほかならない。
(3)こうして2010年代後半の世界では、グローバリズムに反発する動きが目立つようになった。普通に考えれば、これは人々がナショナリズムを志向するようになることを意味しよう。
(4)だが問題は、グローバリズムそのものが、20世紀前半に生じた「ナショナリズム疲れ」の産物としての性格を持つこと。新自由主義にしても、1970年代、経済の低迷に悩んだ自由主義諸国で、「福祉国家志向疲れ」が生じたことにより台頭した。
すなわち、グローバリズムや新自由主義への疲れがたまっていたとしても、「これからはナショナリズムだ!」とか、「やはり福祉国家志向でなければ!」という意気込みは生じにくい。
頑張ろうという意欲がわかず、物事に取り組む気が起こらないことを「おっくう」と申しますが、現在の世界は「どちらに転んでもおっくうな時代」を迎えている恐れが強いのです。
ここ数年、反グローバリズムの動きが目立ったイギリス、アメリカ、ドイツについて、この点を検証してみましょう。