■低姿勢とは外交の否定だ

 ただし低姿勢外交、ないし八方美人的な事なかれ主義のもとでは、自国の戦略や権益を積極的に打ち出すことはできません。

 けれども外交とは、衝突や紛争にいたることなく、自国の戦略を実現させ、権益を満たすための手段だったはず。低姿勢外交とは、本来の意味における外交の否定であり、「軟弱な外交もどき」としか評しえない代物なのです。

 戦後日本型の平和主義が抱える問題については、拙著『平和主義は貧困への道 または対米従属の爽快な末路』で詳しく論じましたので、ぜひそちらをご覧下さい。ここで問題にしたいのは、わが国の外交が今なお、低姿勢の呪縛を脱していないことです。

 というのも1990年代はじめあたりから、外交における軟弱な事なかれ主義を正当化する格好の口実が出回ったのです。すなわちグローバリズム。今や世界は一つになりつつあるのだから、国境や国籍にこだわる時代は終わった、というアレです。
 これが正しければ、国家戦略や自国の権益を積極的に打ち出す時代も終わったはず。「日本式の外交こそ、新たなグローバル・スタンダードになる!」と、胸を張りたくなるところでしょう。

 しかし現実には、そうはなりませんでした。「国家」を否定するグローバリズムが広まったせいで、国家間の対立がむしろ先鋭化する傾向を見せつつあるのが、2010年代の世界の現実です。

 グローバリズムが謳われる時代だからこそ、自国の戦略や権益を積極的に打ち出した外交が必要なのです。にもかかわらず、「国境や国籍にこだわる時代は終わった」とばかり、低姿勢外交を続けたらどうなるか?

 そうです。

 必然的に国益を損なうことになるのです。過去数ヶ月の安倍外交は、このような「失敗の法則」を浮き彫りにするものでした。

 
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