太平洋を眺める高知市桂浜の坂本龍馬像

○勝海舟と中岡慎太郎も相互守護神!

 守護神表を用いて導きだしたところ、勝海舟の守護神は「丁・甲・庚」、中岡慎太郎の守護神は「癸・庚・丁」であったが、相手の日柱にこれらのいずれかが入っていると、相手はその人にとって守護神となる。海舟の日柱の十干は「庚」、慎太郎の日柱の十干は「甲」であり、お互いにお互いの守護神が入っていることから、両者は相互守護神という相性になる。この相性は大変珍しく、100人に1人といっても過言ではない。

 海舟と慎太郎が相互守護神というこの鑑定結果は、正直意外だった。海舟と龍馬は師弟関係であることがよく知られているが、海舟と慎太郎についてはその関係性はほとんど知られていない。実際に、両者に関連する相当数の本に当たったが、この二人が出会ったり、お互いの日記に記載されていたりする資料は見つからなかった。もし両者が出会っていたとしたら、両者ともにエビでタイを釣る、絶好な関係が築けたはずなのに…と少し残念に思う。

 ところで、海舟と慎太郎は実際には面識がほとんど(全く)なかったとはいえ、その精神面ではどうだったのだろうか?そもそも、海舟は横井小楠や島津斉彬に影響を受け、「私」を重んじる幕藩体制を批判し、それに替わる新しい国家と社会の構想を模索した。つまり「公」を実現するために、アメリカの共和制に倣い、身分制度を改め、民主主義、資本主義に向かおうとした。咸臨丸でアメリカを訪れた後、老中にその様子を聞かれた海舟が「アメリカでは、政府でも民間でも、上に立つ者は皆地位相応に利口だった。この点はわが国と反対だ」と話して、叱られたというエピソードはあまりに有名である。

 一方の慎太郎の思想は「時勢論」という政治論文に集約されているが、幕末日本の政治状況および海外情報を冷静に分析し、近代国家建設に必要なことについて述べている。「時勢論」は土佐藩士に宛てた手紙をまとめたものだが、学問に専念できなくなることを理由に、田舎で養子入りし、小さな村の政治にかかわることを拒否していた北川竹次郎には、「君子小人(しょうじん)人にあり。家に在らず」(立派な人間になるか小さな人間になるかは、家柄ではなく、その人の心がけ次第である)と述べ、北川の養子入りを説得した。慎太郎は海外経験こそないものの、海外の政治について学んでいたようだが、まさにこれぞ、海舟が目指した、家ではなく個人を重んじる民主主義につながる。

 このように、海舟と慎太郎は、その思想において、かなり共通していた。薩長同盟、薩土盟約、大政奉還のために慎太郎が走り回り、慎太郎の死後、そのバトンを受け取った海舟が明治政府を担っていく…まさにこれぞ両者が手を組んだことによって1×1が10×10になった、相互守護神の関係と言える。2人の協力関係については、私の知る限り資料上残っていないが、慎太郎は名前を替え、身分を偽り、全国各地を走り回っており、両者はどこかで出会い、繋がっていたのかもしれない。

 勝海舟、坂本龍馬、中岡慎太郎、この3人の関係について、2回にわたって熱弁させて頂いた。1000人以上を鑑定してきた私からしても、驚くほどの相性で、出会うべくして出会った3人だと思う。このご縁は、今世、来世へと続くだろう。
 3人の思想に改めて触れ、「私」を重んじ「公」を忘れがちである現代の大局を反省しつつ、世の中を分析する目を大切にしたいと強く思う。

「日本三大夜城」に認定された夜の高知城。私の隣は母です。
■四柱推命とは?
 古代中国で生まれた「過去、現在、未来」を予見する運命学のひとつで、陰陽五行説(いんようごぎょうせつ)をもとに、人が生まれながらにして持っている性格、能力、素質を理解し、その人の努力や経験で変わる後天的な運命までも予測することができる。
具体的には、生まれた日(生まれた年・月・日・時間)をもとに命式表(めいしきひょう)を作成し占っていく。なお、ここでは生まれた時間は鑑定に含めていない。
 ここでは、「国士大辞典」(海舟・龍馬)と「幕末維新大人名事典」(慎太郎)に記載されている生年月日を、「和洋暦換算事典」を用いて現行暦に換算し鑑定している。

【参考文献】

「勝海舟と坂本龍馬」加来耕三 出版芸術社(2009)
中岡慎太郎館HP https://bakumatsu-ishinhaku.com/venue.html?id=19 (2018年10月13日最終アクセス)
特定非営利活動法人 国際留学生協会HP http://ifsa.jp/index.php?aboutIFSA (2018年10月13日最終アクセス)