【遊女に勝てなかった吉原芸者の憂鬱】 | BEST T!MESコラム

BEST TiMES(ベストタイムズ) | KKベストセラーズ

遊女に勝てなかった吉原芸者の憂鬱

吉原の舞台裏を覗く 第32回

■幇間(ほうかん)

 幇間は太鼓、太鼓持、男芸者ともいい、芸者と同様、妓楼などの宴席に出て、芸を演じたり、面白おかしい話をしたりして座を取り持つ。

 やはり揚屋町の裏長屋に住んでいて、呼ばれて妓楼などに出向いた。

 落語家が自分の職業について、

「利口ではできません。馬鹿ではもっとできません」

 と述べるジョークがある。

 幇間という職業にも当てはまるであろう。

 いつの時代にも、威勢のある人、金のある人には取り巻きや、腰巾着などという、いわば幇間的な人間が付いてまわる。だが、職業ではない。

 幇間が職業として確立したのは宝暦(1751~64)以降といわれる。ということは、揚屋制度がなくなり、太夫の称号も廃止されたのと一致する。

 客は直接妓楼にあがり、そこで酒宴を楽しみ、さらに床入りもするようになった。こうしたことが幇間の需要を高めたのだろうか。

 幇間には、武士の次・三男や、商家の若旦那などで、遊びで身を持ち崩した者が少なくなかったようだ。また、盛りを過ぎた陰間が幇間に転身することもあった。

 吉川英治の小説『松のや露八』のモデルになったのは、明治時代の幇間、松廼屋露八である。

 松廼屋露八は武士の家に生まれ、彰義隊に参加した経験もあった。

 図2は、妓楼の廊下で、幇間が遊女に伝えている――

写真を拡大 図2『風薫葛の裏葉』(志満山人著、文政11年)

「もしもし、おいらん、かの客人が参ります」

「かの客人」は、幇間にとって大事な旦那なのであろう。旦那の機嫌を損ねないよう、いわば根回しをしていることになろうか。

 なお、独特な風習があった深川では芸者を羽織、幇間を太夫と呼んだ。また、深川では芸者が転ぶ、つまり金をもらって客と寝るのは常識だった。

KEYWORDS:

オススメ記事

永井 義男

ながい よしお

小説家、江戸文化評論家。1997年『算学奇人伝』で開高健賞受賞。時代小説のほか、江戸文化に関する評論も数多い。著書に『江戸の糞尿学』(作品社)、図説吉原事典(朝日新聞出版)、江戸の性語辞典(朝日新聞出版)など。


この著者の記事一覧

RELATED BOOKS -関連書籍-

江戸の性事情 (ベスト新書)
江戸の性事情 (ベスト新書)
  • 永井 義男
  • 2016.12.10