江戸時代、丸山の遊女が「ベッド」を経験できた理由 |BEST TiMES(ベストタイムズ)

BEST TiMES(ベストタイムズ) | KKベストセラーズ

江戸時代、丸山の遊女が「ベッド」を経験できた理由

吉原の舞台裏を覗く 第28回

江戸時代に遊郭が設置され繁栄した吉原。その舞台裏を覗きつつ、遊女の実像や当時の大衆文化に迫る連載。

■丸山遊廓

 長崎の丸山遊廓と横浜の港崎(みよざき)遊廓も公許の遊廓だが、島原・新町・吉原と違ったのは、異人(外国人)の客の存在である。

 ここでは、長崎の丸山について述べよう。

 もともと長崎の各地に存在していた女郎屋を寛永十九年(1642、三代将軍家光のとき)、一カ所に集め、丸山遊廓ができた。現在の、長崎市丸山町の地である。
 当時、長崎に来航できる異人は、オランダ人と清(中国)人に限られていた。

 しかも、オランダ人は出島、清人は唐人屋敷から外に出ることは禁じられていた。さらにオランダ人も清人も、たとえ既婚者であっても妻を同行するのは許されていなかった。

 そのため、長崎に滞在する異人はいわば単身赴任であり、数年間の禁欲生活を余儀なくされた。

 性欲を解消するには、丸山遊廓の遊女を呼び寄せるしかない。そして、これを幕府は許可していた。いわゆるデリヘル(デリバリーヘルス)のサービスを公認していたことになろう。

 異人と丸山の遊女のあいだを斡旋する者がいた。異人がその者に希望を告げれば、求めに応じて丸山から遊女を出島、あるいは唐人屋敷に連れて来た。

 図1は、呼び寄せた遊女とオランダ人が酒宴をしている光景。

写真を拡大 図1『駱駝之世界』(江南亭唐立著、文政8年)

 右にいる通子(通詞)は通訳である。ひとりのオランダ人が何か言ったのを聞いて、

「何とおっしゃいます。酒はいやだから、早く寝たいとか。どうも、まえど床急ぎには困ります」

 と、ぼやいている。

次のページ客がオランダ人だったから

KEYWORDS:

オススメ記事

永井 義男

ながい よしお

小説家、江戸文化評論家。1997年『算学奇人伝』で開高健賞受賞。時代小説のほか、江戸文化に関する評論も数多い。著書に『江戸の糞尿学』(作品社)、図説吉原事典(朝日新聞出版)、江戸の性語辞典(朝日新聞出版)など。


この著者の記事一覧

RELATED BOOKS -関連書籍-

江戸の性事情 (ベスト新書)
江戸の性事情 (ベスト新書)
  • 永井 義男
  • 2016.12.10