名門「慶應義塾」の創始者・福沢諭吉は知性0%だった? |BEST TiMES(ベストタイムズ)

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名門「慶應義塾」の創始者・福沢諭吉は知性0%だった?

歴史上の人物を四柱推命で鑑定! 第42回 ~福沢諭吉~

行動力40%(偏官、正官)

 頭で考えるよりも行動で結果を示そうとする星。中でも「偏官」は、ガツガツ系。行動力、攻撃力があり、セールスも得意。また、「正官」は、プライドが高く真面目な性格。仕事がよくできる。

 温厚なイメージのある諭吉だが、攻撃的な面もあったようだ。咸臨丸でアメリカを訪れた折、艦長に志願し大口を叩いていたものの船酔いで私室にこもったままの勝海舟を強く批判している。明治後期に諭吉が「時事新報」で書いた「痩我慢の説」では、「勝ち負けを考えずに薩長と勝負するべきなのに、負けることを前提に簡単に和睦して、しかも維新後は新政府に関わるとは何事か」と海舟を名指しで批判している。2人は生涯仲が悪かったらしいが、それもこれも諭吉の攻撃的な姿勢があってのことだろう。

 中津藩の下級武士の家に生まれた諭吉は、早いうちから身分制度に疑問を持っていた。農民に生まれたら、生涯農民。上級武士に生まれたら、生涯上級武士。いくら才能があってもなくても、生まれた家によって一生が決まってしまう。父親の百助は、諭吉を実力次第で相応な地位にのぼりうる坊主にしようと考えたほどだ。プライドが高く真面目な性格だった諭吉は、そんな状況が許せなく、若いうちから身分制度を疑問に思っていたのだろう。

○自立心30%(劫財)

 自分の信じた道を突き進み、リーダーシップを持っている。中でも「劫財(ごうざい)」は、社長タイプ。組織をまとめることが得意で、欲しいのはどんな手を使っても手に入れたいという強い星。

 諭吉は政治家や社長等、組織のトップにいたわけではないが、思想家として多くの人に影響を与えている。「学問のすすめ」は庶民でも買いやすくするため17冊に分けて1冊の値段を安くしたり、漢字には読み仮名をふったりして大勢の読者を得、日本で初めて300万部を超す大ベストセラーとなった。そのほか、「西洋事情」や「文明論之概略」等、多くの本を出版している。庶民にとって、諭吉の本は、今で言う最新の自己啓発本やビジネス書だったのだろう。

 また、教育者として、慶應義塾を創設、そのほか、専修学校(専修大学)、商法講習所(一橋大学)、土筆ヶ岡養生園(北里研究所)、伝染病研究所(東京大学医科学研究所)の創設にも尽力した。今では日本を代表する教育機関ばかりである。大勢の人に影響を与え、まとめる統率力を持っていたのだろう。

人脈20%(正財)

 人脈は、気遣いができて誰とでもコミュニケーションが取れる星。

 咸臨丸でサンフランシスコを訪れた一行は、こぞって写真館に行き、当時珍しかった写真を写してきた。もちろん、どれも一人で撮ったものだったが、諭吉は写真屋の少女を誘って一緒に写り、後に同行者に見せて悔しがらせたという。今でも若い日本人の男性がアメリカ人の少女に声を掛けるというのは、なかなか勇気のいるものであろうが、当時はさらにハードルが高いものであっただろう。それを難なくこなしてしまうあたり、諭吉はコミュニケーション能力が高かったのだろう。

○遊び心10%(食神)

 生活に遊びを自然に取り入れることができる星。中でも「食神(しょくじん)」は、みんなでカラオケに行ったり飲みに行ったりおしゃべりをしたりするのが大好きな星。おおらかで子どもっぽく無邪気な性格でもある。また、子どもに恵まれ子ども好き。

 一万円札の肖像画を見ると、厳格な雰囲気の漂う諭吉であるが、諭吉は無類のお酒好きだったという。中でもビールは好きで、「西洋衣食住」に紹介している。『「ビィール」と云ふ酒あり。是は麦酒にて、其味至て苦けれど、胸膈を開く為に妙なり。亦人々の性分に由り、其苦き味を賞翫して飲む人も多し。』ここに出てくる「胸隔を開く」は、「腹を割る」の意味のようだ。みんなでビールを飲んで胸の内を語り合うのが楽しみだったのだろう。諭吉は30代で身体を壊し禁酒を試みるが、ビールだけはどうしても手放せなかったようで、「ビールは酒にあらず」との名言を言い放ち、飲み続けたという。諭吉の無邪気さが伝わる。

 また、「食神」は子ども好きの意味があるが、諭吉は自分の子どもにはすこぶる弱く、甘かったという。子煩悩が行き過ぎたところが唯一の短所だったとも言われる。四男五女に恵まれた諭吉。長男の一太郎と次男の捨次郎を大学予備門(一橋)に入れ、アメリカへ留学させたが、予備門の勉強のさせ方があまりにも激しかったため、「子どもの健康上よろしくない」「うち(慶應)ではこうしているからこうしたらよろしかろう」等と申し入れていたという。「独立自尊」を人生の大きなテーマに据えていた諭吉が、子どものことになると様々口出しして人が変わったようになる…。行き過ぎともいえる子煩悩ぶりが伝わってくる。

知性0%

 幅広い知識を持つイメージのある諭吉だが、意外にも知性に関する星を持っていなかった。先に紹介した、「学問のすすめ」の冒頭「天は人の上に人を作らず 人の下に人を作らず」はあまりに有名であるが、その先がある。「されども今、広くこの人間世界を見渡すに、かしこき人あり、おろかなる人あり、貧しきもあり、富めるもあり、貴人もあり、下人もありて…(中略)されば賢人と愚人との別は学ぶと学ばざるとによりてできるものなり。」

 つまり、人間平等であっても、その実は賢い人もいれば、愚かな人もいる。その差をつけるのは学問だ。みんなで学問をしよう!と説いたのだ。中津藩士の下級武士の次男として生まれた諭吉だが、正規の勉学をスタートさせたのはかなり遅かったようだ。14~15歳になって塾へ通いいざ漢学を始めると、たちまちに上達し先輩たちをしのいで、漢学者の前座ぐらいは勤まるようになったという。諭吉自身、その後は相当勉強をしたようだ。知性の星を持っていないため苦労も多かったかもしれないが、自らの経験をもって、学問をすることは賢人と愚人を分けるものだと悟ったのだろうか。

次のページ続いて十二運星を見ていく。

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妃萃(本名:油川さゆり)

ひすい

青森県八戸市出身。慶應義塾大学 社会学研究科 教育学専攻 修士課程修了、同研究科 同専攻 後期博士課程在学中。2013年鳥海流・鳥海伯萃より四柱推命の指南を受ける。これまで500人以上を鑑定。多数の弟子を輩出。

元放送局報道記者。フリーアナウンサーとして、BS11の番組にレギュラー出演しているほか、ナレーターや司会として活動中。日本の歴史、伝統芸能を伝えるため、歴史勉強会、その他イベントを主宰。自身も大和言葉、辞世の句、武田氏と油川氏等について講演活動を行う。合同会社真己、共同代表。また、2016年6月から「カミムスヒ」というソングユニットで歌手活動を開始。手話検定3級、ホームヘルパー、視覚障害者ガイドヘルパーの資格を持ち、社会福祉活動に積極的に携わる。


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