写真を拡大 図2『礒ぜせりの癖』(十返舎一九著、文化10年)、国会図書館蔵

 瀬川の千五百両は極端としても、身請けには数百両がかかるのが普通だった。
 遊女を身請けできる男など、ごく限られていた。それだけに、男の最高の見栄でもあった。
 いっぽうの遊女にしてみれば、身請けされて年季の途中で吉原を抜け出るのは、まさに最高の玉の輿だった。
 図2には、「静山、身請けせられ、門出のところ」とあり、花魁の静山が身請けされ、駕籠に乗って大門を出て行くところである。まさに門出だった。
 静山は駕籠から、見送りにきた禿にこう声をかけている――

「みどりや、随分これから、おとなしくしやよ」

 いっぽう、左の見送りの遊女ふたりは――

「おいらんえ、おさらばえ、今年の暮れには、わたしも出ますから、お訪ね申しいしょう」
「灯籠に、どうぞおいでなんし」

 

 ひとり目の遊女は、年末に年明きになるようだ。
 もうひとりの言う「灯籠」は、七月におこなわれる吉原三大行事のひとつ、「玉菊灯籠」のこと。見物に来いと誘っている。
 この静山のように身請けされたのは、僥倖を得た、ごくひとにぎりの女だった。