まず、自分が惚れた師匠のもとに、「落語家になりたい。弟子入りしたい」と直談判します。寄席のハネた後を見計らって告白する手もありますし、その師匠の知人を通じて打診する場合もありますが、いずれにしても直接挨拶するところから始まります。
 一般的には、その師匠がよほど生理的に嫌悪感を抱かないかぎり入門OKとなりますが、何度かは門前払いをしてから試す師匠も、なかにはいます。覚悟の程を確かめるわけですね。
 師匠談志は、意外にも「即入門OK」を出します。よほど怪しいやつでないかぎり日程を調整し、第一段階として「親を連れて来い」となります。これは、親の面前なら逃げ場はないだろうとの判断からです。

 今でもよく覚えていますが、平成3年4月19日のことでした。場所は国立演芸場の応接室。立川流一門会のトリを終えた師匠を、私は長野から上京してきた両親と共に待ち続けていました。
 かなり遅れて部屋に入ってきた師匠はにっこり笑って、私の父親にまず一言、「殺しはしませんから」と言いました。
 今思えば、怖いと同時に最低限の生命は保証するという「優しさ」なのです。「優しさ」という言葉を使いましたが、この言葉は師匠を形容するのにはとても便利な言葉であります。
 そして次に、私も直に言われましたが、「君が落語家になりたいという気持ちを俺は否定できないんだ」との殺し文句を突きつけます。
 ああ、なんて素晴らしく優しい言葉なのでしょうか。その言葉に騙されて今の私があるのですが・・・。
 先ほど「立川流は北朝鮮」と書きましたが、「そこに行けば未来が広がる」と25歳の時に「地上の楽園」を見出した私は「よど号の乗っ取り犯」なのかもしれませんな。もはや真打ちになった以上、「脱北」はできません。ひたすら「朝鮮労働党幹部」を目指すのみであります。

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