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悩みから開放されて安楽を得るには?哲学者「ピュロン」に学ぶ

天才の日常~ピュロン篇

■「懐疑主義」を形成した哲学者・ピュロン

 哲学者ピュロンは、人が生きる理由や目的も、万物の根源や究極の原理に対しても、誰も完全な答えを出すことができないと考えた。答えを出せない問題に悩み、苦しめられるくらいなら、無理に答えを出そうとするのではなく、何が真理なのかという判断を停止して、平静な心境でいたほうが、人間は幸福に生きられる。このように論じたピュロンとその弟子たちは「懐疑主義」と呼ばれる学派を形成していた。
 
 ピュロンは紀元前360年頃、ギリシア西部のエリスで生まれた。アレクサンドロス大王と凡そ同年代である。若い頃は貧しい画家だったが、やがてアレクサンドロスの宮廷に仕えていた哲学者アナクサルコスに弟子入りし、共にマケドニア軍の遠征に帯同して、インドまで旅することとなった。

 アレクサンドロスは少年時代にアリストテレスを家庭教師として勉強したためか、哲学に関心が高く、インドでも裸の行者たちと積極的に議論を行うほどだった。遠征に帯同していたピュロンもこの時、インドの哲学者、宗教家たちの教えを聞き、強く影響を受けたようだ。そのせいもあってか、彼の哲学にはインド的、東洋的な発想に近いものも感じられる。

 ギリシアに戻ったピュロンは、友人や弟子たちと共に哲学を深めていった。彼の教えとして知られているのは、物事の真理は把握できないということ、何事においても判断を留保しなければならないということ、何ひとつ美しくもなければ醜くもなく、正しくもなければ不正でもないということ、「あれである」よりもむしろ「これである」ということはなく、人々はただ法と習慣に従って生きているということ……などである。
 
 同時代の他の哲学者たちは「〇〇とは××である」というように「答え」を言い切る主張をしていた。だが、ピュロンは「どの言明にも、それと対立する言明がある」と言った。感覚は人によって違うので、ある人に暑いと感じられても他の人には寒いと感じられることがある。国によって文化が変わるので、ある国では善いとされることが別の国では悪いとされることがある。ピュロンの懐疑主義では、現にあるものをあるがままに受け入れて、それが何であって何ではないのかということの判断を留保するのである。

「〇〇とは××である」というような形で何かが答えとして判断されるためには、正しい規準に基づいて論証されなければならない。だが、正しい規準が見出されるためにはそれに先立つ論証が必要となる。このような堂々巡りに陥ってしまうため、正しい規準も論証も、それ自体で把握されることができない。循環論法や無限背進に陥らないためには、人は何かを真理として判断することを差し控え、物事をあるがままに受け入れなければならないのである。

 懐疑論は否定のための哲学ではなく、肯定も否定もせずに判断を留保することで心の平静さを保つための実践的な生き方の哲学である。死後の世界はあるかどうか、死後の魂はどうなるのか、天国や地獄はあるのか……そういった問いに対して、肯定も否定もしないことで、自らが死んだ後のことについて思い悩むこともなく、平静な心境で生きられるようになるだろう。

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大賀 祐樹

おおが ゆうき

1980年生まれ。博士(学術)。専門は思想史。

著書に『リチャード・ローティ 1931-2007 リベラル・アイロニストの思想』(藤原書店)、『希望の思想 プラグマティズム入門』 (筑摩選書) がある。


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