育成から這い上がった楽天・八百板卓丸。「同じチーム」だった兄との葛藤と絆 |BEST TiMES(ベストタイムズ)

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育成から這い上がった楽天・八百板卓丸。「同じチーム」だった兄との葛藤と絆

聖光学院OBがプロで示す人間力

 当時投手だった兄・飛馬は、この年、2年生ながら春の県大会決勝で完投勝利を果たすなど、期待の選手でもあったが、実はこの時期にイップス(精神面の不安定さから発症する運動障害)に苦しんでいた。そんなさなかであっても、卓丸は「厳しくするからな!」と兄からの檄を受け続けていた。

 どうしても周りの目、そして兄のことが気になる。飛馬と同じ投手だった卓丸の右腕に、なかなか力が漲らない。必然的にBチームでの練習試合では結果を残せず、同チームの監督を務める横山部長(コーチ)から育成チームへの降格を命じられた。

「不甲斐ないピッチングが多かったんで」。卓丸はそう自己分析するが、実際の降格理由はそうではなかった。兄の飛馬は、当時の弟の状況を踏まえ、真意を説明する。

■兄と「離す」ための育成降格

「コーチが『卓丸をお前から離すために、わざと育成に落とした。あいつは、俺らスタッフよりも飛馬の目を気にしながら野球をしている』って話してくれたんですよ。あいつは弟だし、僕も誰よりも厳しく接していたから、僕にビビりながら練習していたんですよね。だから、コーチの考えは理解できました」

 横山部長からは「育成から這い上がってこい!」と喝を入れられた。しかし、このときはまだ、指導者の厳しくも懐の深い愛情に気づいていなかった卓丸は、「俺を突き放しやがって……この野郎」と、心のなかで悪態をついていたという。

 だが、結果的に育成への降格は、卓丸にとって大きな転機となった。投手への未練を断つ。その決断をすんなりと下せるほど、自分自身と向き合う格好の時期となったわけだ。1年生の冬。卓丸は、すでに野手に転向していた兄と同じ道を進むかのように、外野手としてバットを振り続けるようになった。

 

「コーチからもバッティングを少し買われていたし、兄貴からも『野手になったほうがいいよ』って言われていたんで。いつも心配してくれていましたからね。途中から『こいつ、ダメだな』って思っていたらしいですけど(笑)。ずっと気にかけてもらいました」

 卓丸は自虐的に兄との思い出を語る。そのことを飛馬に伝えると、「いやいや、全然ダメじゃなかったっすから!」とかぶりを振って、兄としての想いを紡ぐ。

「『俺の弟だ』っていうのはずっとありましたよ。だから、卓丸には積極的に動いてほしかったし、野球を頑張ってほしかったんで」

 飛馬の気持ちを卓丸が痛感したのは、3年夏の甲子園だった。

 初戦前日の練習。応援に駆け付けた兄が腕にギプスをはめている。聞けば、所属する社会人クラブチームの試合で死球を受け、骨折をしたという。それでも、後輩たちや弟のためにグラウンドに入り球拾いを手伝っている。「骨折してんのに……バカじゃねぇの」。卓丸は笑みを浮かべてひとりごちた。

 高校時代からイップスで苦しんでいたり、本当なら自分のことで精いっぱいなのに、気にかけてくれていた。卒業してからも、骨折しているのに福島から大阪まで応援に来てくれている――。練習後、卓丸はそんな兄から一通の手紙を受け取った。

 <お前が高校に入ったときは、こんなに成長するとは思っていなかった。聖光学院に来て、本当に変わってくれた>

 そこには、卓丸の聖光学院での歩みから、レギュラーとして前年の甲子園を経験している先輩としてのアドバイスなど、飛馬の本音が綴られていた。

 当時も卓丸は、「兄貴には本当にお世話になって」と感謝を述べていたものだが、4年経った今、改めて当時をしみじみと振り返る。

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田口 元義

たぐち げんき

1977年福島県生まれ。元高校球児(3年間補欠)。ライフスタイル誌の編集を経て2003年にフリーとなる。Numberほか雑誌を中心に活動。試合やインタビューを通じてアスリートの魂(ソウル)を感じられる瞬間がたまらない。現在は福島県・聖光学院野球部に注目、取材を続ける。


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