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連合軍戦車にとって“悪夢”のような存在となった、ドイツのパンター戦車

陸戦の王者“アニマル・シリーズ”の雄、パンター ~戦車王国ドイツが誇る第二次大戦最強の中戦車~ 第4回

■バルクマン・コーナーの死闘

 1944年6月6日にノルマンディーへと上陸した連合軍に対して、ドイツ軍は必死の防戦を展開。だが物量にものをいわせた連合軍は、着実に内陸部への浸透を進めていた。
 同年7月27日、強力なアメリカ軍車両縦隊がサン・ローからクータンスに向けて進撃中だった。同方面の防衛に任じていた第2SS装甲師団ダス・ライヒは、うち続く激戦によりすでに満身創痍の状態だったが、第2SS戦車連隊第4中隊のエルンスト・バルクマンSS曹長は、愛車のパンターA型424号車をもって敢然と立ち向かった。
 バルクマンは、ロレー街道と国道172号線が交差する十字路の脇にそびえた巨大な樫の木陰に愛車を停止させると、伏撃の態勢をとった。やがて、件のアメリカ軍車両縦隊が近づいてきた。
「まず先頭のM4を始末する!それから順に後ろを叩く。落ち着いてしっかり狙え。撃ち損じて撃ち直すよりも、丁寧に照準して確実に撃破したほうがタイム・ロスが少ない」

 

 424号車は約200mの距離で先頭のM4を撃破し、後ろに続く多数の車両を順に仕留めていった。撃破数はM4だけでも9両。だが直後に近接航空支援を担うアメリカ軍のP47サンダーボルトが飛来して対地攻撃を実施。さらに側面に回り込んだM4からの射撃を受けて424号車は損傷したが、何とか後退できた。
 この戦い以降、同車が死闘を交えた十字路は「バルクマン・コーナー」と称されるようになり、戦車エースに名を連ねることになったバルクマンは同年8月27日、栄光の騎士鉄十字章を受章した。

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白石 光

しらいし ひかる

戦史研究家。1969年、東京都生まれ。戦車、航空機、艦船などの兵器をはじめ、戦術、作戦に関する造詣も深い。主な著書に『図解マスター・戦車』(学研パブリック)、『真珠湾奇襲1941.12.8』(大日本絵画)など。


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