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「幕府支配を目論んだ専制君主」後鳥羽上皇の倒幕計画

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後鳥羽上皇が倒幕を決意した要因

 後鳥羽上皇が専制君主として君臨しようとする建仁3年9月、二代将軍頼家の弟千幡が征夷大将軍に就いた。この12歳の新しい将軍は、上皇によって「実朝」と名付けられた。さらに元久元年(1204)には、実朝の正室として後鳥羽上皇のいとこでもある坊門信清の娘が選ばれた。幼くして父を失った実朝にとって、名付け親でもある後鳥羽上皇の存在は大きく、『新古今和歌集』編集を主導する上皇、勅選集に入集するほどの歌才を持っていた亡父頼朝を強く意識するなかで、京都歌壇に魅せられたとの坂井孝一氏(『源実朝』講談社)の指摘がある。後鳥羽上皇は、幕府を朝廷の軍事上の一機関と認識し、実朝もそれを受け容れてしまう要素が多分に存在したのである。
 ところが、承久元年(1219)正月、鶴岡八幡宮で行われた右大臣拝賀の儀式で実朝が暗殺されたのである。その死は、後鳥羽上皇が考える国家構想を崩壊させた。上皇の考えを受け容れさせる実朝という核が失われた幕府に、どれほどの期待がもてるだろうか。
 ここに、上皇が倒幕を決意した要因のひとつを見ることができよう。

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岡田 清一

おかだ せいいち

1947年生まれ。東北福祉大学子ども科学部教授。専門は鎌倉期の政治、地方史。および東北地方の地域史。主な著書に『中世東国の地域社会と歴史資料』(名著出版)、『鎌倉幕府と東国』(続群書類従完成会)など。


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