【51年前の今日、大阪万博開幕】1970年3月15日「世界の国からコニャニャチワ」《最終回:もう五輪と万博では取り戻せない日本》 |BEST TiMES(ベストタイムズ)

BEST TiMES(ベストタイムズ) | KKベストセラーズ

【51年前の今日、大阪万博開幕】1970年3月15日「世界の国からコニャニャチワ」《最終回:もう五輪と万博では取り戻せない日本》

平民ジャパン「今日は何の日」:16ニャンめ

◼︎ミネルバの梟は夜羽ばたき、私は「猫」になる。そして、夢は夜ひらく

 繁栄に疾走する一方で得体の知れない終末観も広がっていた。その分裂気味の精神構造があって、日本の「カルチャー」は栄えた。1970年、真ん中で日本を引っ張っていたのは、たしかに開発経済だったし、それを支えたのは滅私奉公とハングリー精神だった。その後の50年を経て、そのテーゼがいずれも有効ではないことは皆わかっている。これからまたそれをやれと言うなら、日本はもうとっくに終わっている。だからといって、大阪万博に沸いた1970年がバラ色だったわけではない。灰色だったから、バラ色の夢を見たかっただけだ

 76年前、戦争に敗けた。その後奇跡的な復興を遂げ、世界第二位の経済となった。調子に乗ったバブルは崩壊し、思った以上に低迷は長引き、元には戻れないことに気づいた。そして、失われた20年と言われたころに東日本大震災福島第一原発事故が起きた。世界から同情を集めたが、放射能に汚染された国という印もついた。それから10年、復活に向けた国家戦略も、大きな祭りも無いまま停滞が続いたが、おいしいものを出し、カワイイものを並べて、毎年世界中から2000万、3000万人と、2-3年で大阪万博も超える数のお客さんが来てくれるようになった。そのまま続けば、老朽化したインフラや箱モノを訪れる廃墟ツアーすら盛り上がったかもしれない。やっと東京オリンピックで盛り返してやろうというときに、新型コロナで挫かれた。残念としかいいようのない日本がいまここにあるけれど、何を言っても埒が明かないし、政府の無策を嘆いても現状の追認にしかならない。選んでいるのは国民自身だ。投げたブーメランは投げ手に戻ってくる。

 そして私は平成の終わりとともに猫になってしまった。

 夏目漱石が明治の精神に殉死した乃木希典将軍をモチーフにした『こころ』を描いたように、高度成長期に生まれ育った日本人としての私の昭和は終わり、そして、その懲りない延長戦としての平成も終わった。令和のはじまりとともに「タリラリラーンのコニャニャチワ」と、五輪と万博の夢にもはや酔えない「人間」を自覚したとき、私は猫になってしまった

 時代にも人生にも光と影がある。個人も国家もそれを背負って進みながら、記憶を都合よくつくりかえていく。人は誰でもいやなことは忘れ、いいことだけを覚えておきたい。歳をとれば未来は不安となり、過去が愛おしくなっていく。一個人にとっても国家にとってもそれは同じだ。しかし、自らの記憶は自らつくるものであって、誰かにつくってもらうものではない。

 少子高齢化の日本にも次世代は生まれ続け、彼らの未来がある。

 失われたうん十年がこの先どんなに続くとしても、故郷の山河を失ったわけではない。世界がうらやむカルチャーがある。記憶を捨てずにいまを受け止めて次の瞬間に向かえば、未来はすぐそこにある。

 東京オリンピック開幕直前から大阪万博の理念を描き、開催に向け尽力したSF作家の小松左京は万博3年後の1973年に「日本沈没」を発表、385万部のベストセラーとなった。その元のタイトルは「日本滅亡」だった。人類の進歩と調和、輝かしい日本の未来を描く万博を構想しながら、同時に救いようのない破局を描いて、日本人に問いかけた。「日本」という総体が消失したとき、われわれは「日本人」として生き延びるかと。

 繁栄と破局の二律背反は半世紀前も令和のいまも、日本人の心の中にある原風景だ。栄光と挫折、敗北も勝利も知っている。勝っても負けても、日本人だ。

 大阪万博の記憶とは「あの頃はよかった」と振り返るための絵葉書ではない。1970年代は日本のポップカルチャーとサブカルがいっきに勃興した超カラフルな時代だった。それを含め、古代よりいまに至る日本の文化は、それ自体スーパーリッチなコンテンツのアーカイブだ。2025年、そのすべてを仮想空間に構築して世界に開放すれば、太陽の塔を月面に屹立させることも、上海万博を超えることも簡単だ。持続可能な無料常設展にもできる

 1970年の末、鶴田浩二「傷だらけの人生」が発売されてヒットした。当時のギャグマンガの頂点、「天才バカボン」のパパの愛唱歌としても知られる。「生まれた土地は荒れ放題、今の世の中、右も左も真っ暗闇」に見えるけれど、「夢は夜ひらく」

 そして猫になった私も、時代の発泡酒に酔いしれながら、自らの運命を水たゆたう甕のなかに落とす。これからの世代は、五輪万博と高度成長の神話から解放してあげよう。

 猫島は死ぬ。死んでこの太平を得る。太平は死によってしか得ることはできない。南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏ニャムアミダブツ…。チーン、ポクポクポクポク……

(『今日はニャンの日』連載「おわり」)

KEYWORDS:

オススメ記事

猫島 カツヲ

ねこじま かつを

ストリート系社会評論家。ハーバード大学大学院卒業。

この著者の記事一覧