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日本史の未遂犯 ~織田信長の暗殺を2度企てた男~

日本史の未遂犯 ~信長の暗殺に挑んだ男たち1~【遠藤直経】

1570年、再び信長を狙うが……

 さて、再び1570年(元亀元年)に時を戻したいと思います。
 好機を逸していると考えていた直経は「信長に敵対することは浅井家のためにはならない」として、「朝倉家に味方するべき」という家中の意見に反対します。
 ところが、先代の当主であり、まだ家中で実権を握っていた浅井久政(浅井長政の父)が「朝倉家に味方するべき」と主張すると、浅井長政や家臣たちはそれに同調してしまい、ついに結論が出されてしまいました。
 そして、朝倉家を攻める信長の背後を突いて挟み撃ちをしようとしたのですが、ここで予定外のことが起こります。
 信長は浅井長政が離反したことに驚き、朝倉家を攻めることを止めて、あっという間に京都に逃げ帰ったのです。いわゆる「金ヶ崎の退き口」です。
 浅井家は信長を討ち漏らしてしまったのです。
 この後、直経の悪い予想が的中し、浅井家は存亡を掛けた一戦を信長と交えるのでした。それが「姉川の戦い」です。

 京都から居城の岐阜城に入った信長は(この道中に杉谷善住坊の信長狙撃事件が起きている!)軍備を整えて、朝倉家と浅井家を討つために同盟相手の徳川家康と共に兵を挙げ、北近江に攻め込みました。
 それを迎え撃つは、浅井朝倉の連合軍でした。その中にはもちろん、浅井家きっての名将である直経の姿もありました。

 そして、時は1570年(元亀元年)6月28日を迎えます―――。
 姉川を挟んで対峙した両軍。戦闘が始まったのは、卯の刻(午前6時頃)だったといいます。
 戦況は一進一退。この時の激しい戦いの様子は『信長公記』に、次のように語られています。

「戦いは押しつ押されつの大乱戦となり、戦場には黒煙と土埃が巻き立ち、鍔が割れ、槍がぶつかり合う音がこだました。そして、後世に語り継がれるであろう数々の武功が生まれ、そのたびに名のある武者が命を落としていった」

 はじめは浅井朝倉軍が優勢であり、浅井軍が織田軍に激しき斬り込み、一時は織田軍を危機に陥れます。直経もその中心にいて、織田軍を散々に苦しめたことでしょう。
 しかし、榊原康政(徳川家康の重臣)の軍勢が横槍を入れて奇襲を掛けたことで戦況は一変し、浅井朝倉軍の敗戦は濃厚となってしまいました。
 ここで直経は、戦の前から思案していた命懸けの信長暗殺計画を、ついに実行に移すことを決意するのです。

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長谷川 ヨシテル

はせがわ よしてる

歴史ナビゲーター、歴史作家。埼玉県熊谷市出身。熊谷高校、立教大学卒。漫才師としてデビュー、「芸人○○王(戦国時代編)」(MBS、2012年放送)で優勝するなどの活動を経て、歴史ナビゲーターとして、日本全国でイベントや講演会などに出演、芸人として培った経験を生かした、明るくわかりやすいトークで歴史の魅力を伝えている。テレビ・ラジオへの出演のみならず、歴史に関する番組・演劇の構成作家や、歴史ゲームのリサーチャーも務めるほか、講談社の「決戦! 小説大賞」の第1回と第2回で小説家として入選するなど、幅広く活動している。NHK大河ドラマ『真田丸』(2016年)の第3話に一般エキストラとして14秒ほど出演。また、金田哲(はんにゃ)、山本博(ロバート)、房野史典(ブロードキャスト!!)、いけや賢二(犬の心)、桐畑トール(ほたるゲンジ)とともに、歴史好き芸人ユニット「六文ジャー」を結成、歴史ライブやツアーを展開中。トレードマークは赤い兜(甲冑全体で20万円)。前立ては「長谷川」と彫られている(特注品で1万5千円)。著書に『ポンコツ武将列伝』(柏書房刊)『マンガで攻略! はじめての織田信長』(原作・重野なおき、金谷俊一郎との共著、白泉社刊)がある。雑誌『歴史人』の人気ウェブ連載をまとめた『あの方を斬ったの…それがしです ~日本史の実行犯~』が3月19日(月)配本!


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  • 長谷川 ヨシテル
  • 2018.03.20