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人はなぜ「死」を恐れるのか?【呉智英×加藤博子】

呉智英×加藤博子が語りあう「死と向き合う言葉」

 

■認知革命により、人間は死を怖れるようになった

 

 心理学で表象というときは、単純にあるものを頭の中に思い浮かべるという意味に使う。その時には、プレゼントしていない幽霊なんかでも頭の中に浮かべれば、とりあえずリプレゼントというんだね。哲学では幽霊の場合はリプレゼントでは適切ではないという人もいる。いずれにしても、言葉が非常にわかりにくいね。特に、日本の場合、哲学なんかの場合は、それを外国語から翻訳してるから、よけいにわかりにくい。ハラリの認知革命も、むしろ、虚構を作る能力の出現、フィクションを作る能力の出現と考えたほうがわかりやすい。これを認知というから、非常におかしくなる。では虚構革命といえばわかりやすいかというと、別の意味でわかりにくい。

 それはさておき、ともかくこうした「虚構の能力」が現れてから、人間の歴史は発達し、文明・文化が始まり、さまざまな問題が起きるようになったというのが、ハラリの説。7万年前から3万年前にかけて、人類は船、ランプを発明した。芸術と呼んで差し支えない最初の品々も、この時期にさかのぼる。これら前例のないものはサピエンスの認知能力(虚構を作る能力)から起こった革命の産物であると。それがネアンデルタール人など、先行する人類を滅ぼした。この7万年前から始まった思考と意思疎通を、認知革命と呼ぶとハラリは言う。

 

加藤 サピエンスに備わっていた、言葉という独特の器官が発動した、と。

 

 たしかに、言語は、話し言葉なら空気の振動にすぎないし、書き言葉なら線のかたまりにすぎず、表されたものそのものではないから、虚構といえば虚構、フィクションといえばフィクションです。ハラリが言っているのは、私たちの言語が持つ真に比類ない特徴は、人間やライオンについての現実の情報を伝達する能力ではなくて、むしろ、それを、全く存在しないものについての情報を伝達する能力であるということです。「あっちにライオンがいるよ」という情報を伝達する能力ではなく、存在しないもの=虚構を伝達するのが認知革命であると。

 伝説や神話、神々、宗教、こうしたものは認知革命に伴ってはじめて現れた。それまでも、「気をつけろ、ライオンだ」と伝える動物もいた。狩りに行くと、犬が「向こうにライオンがいるぞ」とワンワンワンと主人に報告する。でも、ホモサピエンスは認知革命のおかげで、「ライオンは、わが部族の守護神だ」という虚構を伝える能力を獲得した。虚構、すなわち、架空の事象・人物について語る能力が、サピエンスの言語の特徴であると、ハラリは言っている。

 

加藤 すると、過去と未来、因果、物語が生まれてしまいますね。

 

 そうですね。こうした認知革命により、人間は死を怖れるようになった。自己の一回性、非代替性、非再現性を否応なく想像してしまう。動物も病気になったり、老齢化したり、けがをして苦しいと、その向こうに、もっと、なんか、怖いものがあるらしいと感じる。エサが取れなくて、お腹が減って苦しいと、大変なことが起きそうだと感じる。でもその程度で、自分の生命は、一回的なものであるとは動物は認識できない。

 

加藤 先ほどはカントを出しましたが、プラトン(紀元前427~347/哲学者)の「洞窟の比喩」におけるイデアとフェノメナと重ねて捉えてもいいように思います。イデアは目に見えないけれど、想像することはできる。目に見えているのはフェノメナ、つまり現象にすぎない。これは別に難しい理屈ではなく、どんな民族にも神話があることが、その証左ですよね。

 いろんな人々がそれぞれの神話を伝えてきていることは、共通している。それが後に、ユング(1875~1961/心理学者)が、集合的無意識とか人類共通の夢として、共通のイメージを示してくれています。どの人種も、肌の色は違えども、あるイメージから共通した想いを抱く不思議さが、『サピエンス全史』で語られているのですね。

呉智英×加藤博子著『死と向き合う言葉 ―― 先賢たちの死生観に学ぶ』の本文を一部抜粋)

 

【著者略歴】

呉智英(くれ・ともふさ/ごちえい)

評論家。1946年生まれ。愛知県出身。早稲田大学法学部卒業。評論の対象は、社会、文化、言葉、マンガなど。日本マンガ学会発足時から十四年間理事を務めた(そのうち会長を四期)。東京理科大学、愛知県立大学などで非常勤講師を務めた。著作に『封建主義 その論理と情熱』『読書家の新技術』『大衆食堂の人々』『現代マンガの全体像』『マンガ狂につける薬』『危険な思想家』『犬儒派だもの』『現代人の論語』『吉本隆明という共同幻想』『つぎはぎ仏教入門』『真実の名古屋論』『日本衆愚社会』ほか他数。


加藤博子(かとう・ひろこ)

哲学者。1958年生まれ。新潟県出身。文学博士(名古屋大学)。専門はドイツ・ロマン派の思想。大学教員を経て、現在は幾つかの大学で非常勤講師として、美学、文学を教えている。また各地のカルチャーセンターで哲学講座を開催し、特に高齢の方々に、さまざまな想いを言葉にする快感を伝えている。閉じられた空間で、くつろいで気持ちを解きほぐすことのできる、「こころの温泉」として人気が高い。さらに最近は「知の訪問介護」と称して各家庭や御近所に出向き、文学や歴史、哲学などを講じて、日常を離れた会話の楽しさを提供している。著作に『五感の哲学——人生を豊かに生き切るために』。


 

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