ピタゴラスを殺した自分の「戒律」 |BEST TiMES(ベストタイムズ)

BEST TiMES(ベストタイムズ) | KKベストセラーズ

ピタゴラスを殺した自分の「戒律」

天才の日常~ピタゴラス後篇

■ピタゴラスの定理を発見してささげた生贄

 ピタゴラス教団の中心的な教義とは「万物の根源は数である」とする考え方であり、数学の原理が世界の究極的な原理だとされていた。世界は火や水、土で構成されているが、そのさらに根源に数があり、数学的な調和に基づく秩序がある。数にはそれぞれ意味があり、「1」は理性、「2」は女性、「3」は男性、「4」は正義を意味する。女性の「2」と男性の「3」を足した「5」は結婚を意味する。「7」は好機を意味するとされているので、あるいは現代の「ラッキーセブン」という言葉の起源となっているのかもしれない。

 彼らの「数」の研究は数学だけでなく音楽や天文学にも及んだ。たくさんの弦が並ぶハープのような楽器を見ればわかるように、音階は弦の長さを美しく整数比で割り当てていくことで生み出される。また、三度の音や五度の音のように、美しい和音=調和を構成する音も存在しているが、和音の構造も数の比率を調べることによって発見された。

 当時は一般的に地球が宇宙の中心にあるとする天動説が主流だったが、「ピタゴラス派」は宇宙の中心に「火」があり、その周りを地球や他の星々が回っていると考えていた。夜空に見える星々は、常に同じ比率の距離を保って運行している。だから、これらの比率を音階や和音に置き換えることができれば、さぞかし美しく調和のとれた音楽が奏でられるのだろう……「ピタゴラス派」は数と音楽、天体の研究からこのような考えも持っていた。

 ただ、いずれにしても彼らは、神秘的な思考から離れた合理的な研究を行っていたわけではない。反対に、数秘術のようにオカルト的に数の神秘的な意味を読み解き、その観点から数学の原理や美しい音階、和音、天体の運行などのように、世界に存在している数学的な秩序という合理性に対して神秘を感じ、崇拝していたのである。

 ピタゴラスやピタゴラス教団の人々は、世界に隠された神秘を解き明かすために数学の研究を行っていたのだ。「ピタゴラスの定理」が発見された時、彼らは神に感謝を捧げるため、教団の戒律で禁じられていたのも関わらず、100頭もの雄牛を生贄にしたと言われている。 

 さらに言えば、ピタゴラス教団は宗教団体、研究団体としての性格だけでなく、政治団体としての性格も持っていた。古代の都市に熱狂的な信念を信奉する数千人もの人々が、鉄のごとき戒律で結束を固めた組織を作ったのだから、政治的存在感を持ち得ないはずもない。ピタゴラスが移り住んだ都市クロトンでは、いつしかピタゴラス教団による独裁的統治が行われるようになっていた。

 だが、熱狂は同じくらいの強さを持つ反感も生み出す。クロトンや周辺都市では、反ピタゴラス教団の機運も次第に高まっていった。例えばピタゴラス教団が打ち出した施策「私有財産を禁止して全ての財産を共有財産とする」考え方などは、元々の支配層だった大土地所有者や貴族などから反感を買うであろうことは容易に推測できる。

次のページ豆を踏みつけるより死を選ぶ

KEYWORDS:

オススメ記事

大賀 祐樹

おおが ゆうき

1980年生まれ。博士(学術)。専門は思想史。

著書に『リチャード・ローティ 1931-2007 リベラル・アイロニストの思想』(藤原書店)、『希望の思想 プラグマティズム入門』 (筑摩選書) がある。


この著者の記事一覧