クーデターが起こると知りつつ静観 日本の行く末を真に案じていた江戸幕府最後の将軍・徳川慶喜 |BEST TiMES(ベストタイムズ)

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クーデターが起こると知りつつ静観 日本の行く末を真に案じていた江戸幕府最後の将軍・徳川慶喜

歴史上の人物を四柱推命で鑑定! 第34回 ~徳川慶喜~

 続いて、十二運星を見ていく。

「養(よう)」

「養」は子どもという意味を持ち、素直で人から好かれる。また、目上の人から引き立てを受ける星。しかし、年下の面倒を見るのは苦手。
 慶喜は、水戸藩主・徳川斉昭の七男として生まれた。斉昭は幕末期の名君であり、時の老中・阿部正弘に最も頼りにされた。斉昭は生涯に37人の子どもをもうけ、これらを養子に出して他藩の藩主にしたり、他藩の藩主に嫁がせたりしたが、七男の慶喜(幼名・七郎磨)に関しては、その英邁を見抜き、水戸藩主候補として手許に留め置いたという。老中の正弘も、早い段階で慶喜に注目し、将軍宗家の後継候補にしようと画策。10歳で一橋家を相続し、将軍継嗣の有力候補となったのだ。
 素直で人から好かれる性格の持ち主だった慶喜は、目上の人達から、「かわいい」「何かやってくれそう」等、期待感を持たせたのだろう。

「衰(すい)」

「衰」は老人、長老という意味を持ち、客観的に物事を見られるタイプ。引っ込み思案で、村のリーダーとしてけんかの仲裁役を担っているイメージ。
 慶喜の性格は、この星をもって説明できるのでは?と勝手ながら考えている。「衰」は、村のリーダーのイメージであるように、広い視野を持っている。慶喜は、西洋に政治を学び、幕府開成所教授・西周をブレーンとして、イギリス型議会制度への移行を目指した。1867(慶應3)年の大政奉還において、慶喜は、唯単に政権を帝にお返し奉ると宣言しただけでなく、「外国との交際が盛んになっている今、従来の旧習を改め、広く議会を尽くし協力すれば、海外の万国と並び立つことが可能である」とした。これが五箇条の御誓文の原型となり、現在の議会制度へと繋がっている。

 明治政府において、その中心に慶喜が君臨する予定であったが(本人はどう考えていたのかわからないが)、王政復古の大号令により排除され、寛永寺に謹慎した。このクーデターを起こしたのが、薩摩藩の大久保利通、西郷隆盛、公家の岩倉具視だ。最近の史料で、このクーデターの内容が事前に慶喜に漏れ伝わっていたこともわかっている。武力闘争に出れば、勝てる可能性もあったのだが、慶喜は敢えてそれをしなかった。江戸の人々を戦乱に巻き込みたくない等、様々理由はあっただろうが、欧米列強の侵攻を避けようとしたのではと思う。日本中が戦いの渦に巻き込まれると、これ幸いと、アメリカ、イギリス、フランス等が攻め入ってくることは目に見えている。敗北した日本は、属国になり植民地になる可能性もあった。周りからの批判はあっただろう。それでも、最終的に静観することを選んだ慶喜は、客観的に物事を見る天才だったのかもしれない。

「胎(たい)」

「胎」は赤ちゃんという意味を持ち、様々なことに好奇心を持つ星。新規開拓が得意。
 慶喜は、若い頃から西洋の政治、文化に大きな興味を持った。父・斉昭も「西洋の流をも学ばれんとのこと、感心の至りに候」と書簡を送り褒めている。

 今回の鑑定結果について、近代史研究家の鈴木荘一氏に見解を伺った。「日柱の干支、甲について、これまで慶喜を研究してきて、出世欲を感じたことはない。『自分は補欠』という意識だったのではないだろうか。何の日の目も見ずに行くのだろうという諦めすら感じられる。慶喜は水戸学を学び尊王攘夷の思想を持っていたが、だからこそ、無欲に自分の出来る限りのことをできたのだろう。また、慶喜は柔軟性と包容力に溢れていた人間だと思う。その点は、鑑定結果について納得できる。」

近代史研究家の鈴木荘一氏と筆者

 慶喜の汚名が晴れたのは、明治維新から実に30年以上たった、明治31年。明治天皇に拝謁し、明治35年公爵の爵位が与えられた。つまり、慶喜が維新の功労者であると政府が認めたということである。その後、貴族院議員となった慶喜は、大正2年11月、病気でこの世を去った。亨年77歳。慶喜は、王政復古のクーデターを起こした、岩倉具視、大久保利通、西郷隆盛の誰よりも長く生き、明治天皇の死をも見届けた上で亡くなっている。誰が勝者で、誰が敗者なのか、慶喜の生き様を見ると、そんな疑問が沸いてくる。しかし、慶喜が日本の将来を見据えていたのだとすると、それさえもどうでもよくなる。今日本で平穏に生活できている、基盤づくりをしてくれた慶喜に感謝の念が絶えない。

■四柱推命とは?
 古代中国で生まれた「過去、現在、未来」を予見する運命学のひとつで、陰陽五行説(いんようごぎょうせつ)をもとに、人が生まれながらにして持っている性格、能力、素質を理解し、その人の努力や経験で変わる後天的な運命までも予測することができる。
 具体的には、生まれた日(生まれた年・月・日・時間)をもとに命式表(めいしきひょう)を作成し占っていく。なお、ここでは生まれた時間は鑑定に含めていない。
「国史大辞典」に記載されている生年月日を、「和洋暦換算事典」を用いて現行暦に換算し鑑定している。

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妃萃(本名:油川さゆり)

ひすい

青森県八戸市出身。慶應義塾大学 社会学研究科 教育学専攻 修士課程修了、同研究科 同専攻 後期博士課程在学中。2013年鳥海流・鳥海伯萃より四柱推命の指南を受ける。これまで500人以上を鑑定。多数の弟子を輩出。

元放送局報道記者。フリーアナウンサーとして、BS11の番組にレギュラー出演しているほか、ナレーターや司会として活動中。日本の歴史、伝統芸能を伝えるため、歴史勉強会、その他イベントを主宰。自身も大和言葉、辞世の句、武田氏と油川氏等について講演活動を行う。合同会社真己、共同代表。また、2016年6月から「カミムスヒ」というソングユニットで歌手活動を開始。手話検定3級、ホームヘルパー、視覚障害者ガイドヘルパーの資格を持ち、社会福祉活動に積極的に携わる。


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