愛に溢れた父とチャーミングな母

 まずは家長である父。もう70歳になるので仕事は引退しましたが、ずっと牛乳屋を営んでいました。それがバブル崩壊のあおりを受けて、大きな借金を負ってしまいました。その借金をいま、子どもたちが働いて返しています。

 そのことに子どもたちが疑念を持ったことはありません。いまは貧乏かもしれないけれど、わたしが中学生になるまでは裕福な生活を送らせてもらっていました。それは父が頑張ってくれていたからであることをみんな理解しています。

 父は優しさの塊のような人で、仕事から帰ってきて「疲れた」と言っている姿を見た記憶がありません。本当は疲れているはずなのに。いつも笑顔でいて、とてつもない大きな愛で家族を包んでくれる自慢の人です。

 

 その愛情のおかげで、俗に言う「娘が父をうとましく思う」時期もなく育ってきました。ひょっとしたらわたしの理想のタイプは父なのかも。内心、ずっと思っていることです。

 そしてフィリピン人の母。20代で9人家族を支えるために日本へ出稼ぎに来て、父と知り合い結婚しました。たくましくて、とてもポジティブでチャーミング。高橋家が借金を抱えて落ち込んでしまったときも、「この出来事はいつかきっと〝エピソード〟になるわ!」と笑っていたような人ですから。

 わたしの座右の銘になっている、『Difficult? Yes.Impossible? …No.』も、彼女の存在があったからこそ、強く惹かれているのではないか、と思います。わたしは自分のことを「運がいい」と思っていて、それをいろいろなところで話しているのですが、その源は母なのだと思います。

 家族の間では密かに「高橋家の5番目の子ども」とも言われる、やんちゃな一面も。優しい父に甘やかされてしまったのでしょうか。父も優しいですから注意するのはもっぱらわたしの役目です。

 放っておくと夜中までフィリピンのドラマを見ているようなところがあるので、

「今日はテレビを見んと寝えやー」

 と電話をしています。父の言うことを聞かないときは、

「そんなあやふやな態度じゃ、謝ったことにならへんから、ちゃんと(お父さんに)謝って?」

 なんか、本当に子どもみたいですね。

 我が家の食事は質素だったかもしれませんが、いつもみんなが笑っていた気がします。母はひとり、背もたれのないスツールに座っていました。5人の食事をせっせと作り、よそう。動きやすいようにです。母の前に子ども4人が列をなして、順にご飯を口にいれてもらう、なんてこともありました。

 いつか母からも母の歴史を聞いてみたいな、と思います。
(著書『Difficult?Yes. Impossible?...No. わたしの不幸がひとつ欠けたとして』より再構成)