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大坂冬の陣の前哨戦「鴫野の戦い」の跡をたずねる

季節と時節でつづる戦国おりおり第330回

大坂冬の陣・鴫野今福の戦いを歩く①

 JR大阪城公園駅から公園に入る玄関あたりは、リニューアル工事で大きく生まれ変わりました。大阪城ホールの手前、時代を感じさせる食堂などが入っていた建物が一新し、カフェのスタバやタリーズ、パンケーキのグラム、こじゃれたレストランなどが入る複数棟のヴィレッジになっています。

 

 インバウンドが増加の一途をたどる大阪の観光名所のひとつとして、再活性化は至上命題でしたから、この試みは非常に興味深いです。この日は強風のため人もまばらでしたが(汗)。

 

 大阪城の外縁部にあるから、城テラス=JO-TERRACEなんですね。千利休、茶々(淀殿)、豊臣秀吉とおぼしきキャラクターがベンチに待機し、ゲストとツーショットしてくれています。この時刻は日陰のため人はまったく居ませんでしたが(汗)。

 さて、この日の目的地はここではなく、ここはあくまで出発地点でございます。ここから淀川を渡り、ホテルニューオータニの東側でJR環状線の線路の下の通路を通っていざ、出陣。

 

 第二寝屋川沿いを東へ進むわけですが。

 

 ご注目いただきたいのは、川の反対側の道路脇です。上の写真の様に、一段低くなっております。江戸時代初期の大坂城北東あたりは、当時はもっと地盤が低かったと考えられます。
 20分ほど歩くと、城東小学校に到着。その東側の校門横が最初のチェックポイントです。

 

 

 大坂冬の陣、鴫野古戦場跡の碑。
 慶長19年(1614)11月26日、この地点よりおそらくはもっと北方寄りの付近で大坂城の豊臣方と江戸幕府の徳川方とが「鴫野の戦い」と呼ばれる合戦をおこないました。大坂冬の陣前哨戦です。

 徳川方は、米沢51万石の上杉景勝隊。対する豊臣方は、大野治長とその配下の井上頼次ら。当時は河内平野から北流し大坂城の北で淀川と合流していた大和川。豊臣方がその大和川を使って外部と連絡しようとするのを防ぐため、景勝は鴫野守備隊の井上隊に攻め掛かったのでした。

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橋場 日月

はしば あきら

はしば・あきら/大阪府出身。古文書などの史料を駆使した独自のアプローチで、新たな史観を浮き彫りにする研究家兼作家。主な著作に『新説桶狭間合戦』(学研)、『地形で読み解く「真田三代」最強の秘密』(朝日新書)、『大判ビジュアル図解 大迫力!写真と絵でわかる日本史』(西東社)など。


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