たった2両の戦車でソ連軍に大損害を与えた、ドイツの「ティーガー・エース」 |BEST TiMES(ベストタイムズ)

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たった2両の戦車でソ連軍に大損害を与えた、ドイツの「ティーガー・エース」

無敵重戦車ティーガーI戦記 第4回

第二次大戦期に「戦車大国ドイツ」で生まれた、ティーガーI。敵戦車を噛み砕く「戦場の猛虎」の誕生と活躍を描く連載。 

「猛虎」の優れた使い手、オットー・カリウス。敵戦車だけでも150両以上を撃破したと伝えられる。戦後に薬剤師となりティーガー・アポテーケ(虎薬局)を開業。しかし名高きティーガー・エースも寄る年波には勝てず、2015年1月24日に92歳で逝去した。

とあるティーガー・エースの死闘

 ティーガーIの実戦部隊への配備は1942年8月から開始された。本車は、それまでの支援戦車とは一線を画する重戦車だったため、独立重戦車大隊に装備され、天王山とされる戦いに最先鋒として投入することが考えられた。また一部のエリート装甲師団には、本車を装備する重戦車中隊が配属された。
 これら独立重戦車大隊や重戦車中隊はエリート部隊とされ、熟練の戦車兵たちが送り込まれた。そのため、本車の優れた性能とも相まって、多数の戦車エースが誕生している。

 ・・・・1944年3月17日、東部戦線のナルヴァ戦区では戦線が錯綜していたが、そんな中、ドイツ軍が「オストザック(「東の袋」の意)」と称する橋頭保からソ連軍の攻勢が開始された。一帯を保持していたのは、それまでの戦いですでに弱体化が著しかったドイツ第61歩兵師団で、この攻勢を受けて総崩れとなった。
 状況はまさに危機的だ。このままでは戦区全体が崩壊してしまう。と、そこにたった2両のティーガーIが立ちはだかった。ティーガー・エースとしてすでに名を上げていたオットー・カリウス少尉の乗車と、その部下のケルシャー曹長の乗車である。

 
次のページ数日間に及ぶ阿鼻叫喚の激戦の末に

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白石 光

しらいし ひかる

戦史研究家。1969年、東京都生まれ。戦車、航空機、艦船などの兵器をはじめ、戦術、作戦に関する造詣も深い。主な著書に『図解マスター・戦車』(学研パブリック)、『真珠湾奇襲1941.12.8』(大日本絵画)など。


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