○知性0%

 意外にも知性に関する星を持っていなかった。頭がよかったというよりは、人を取り込んだり人の案に乗っかったりするのが得意だったのだろう。確かに、廃藩置県にせよ、版籍奉還にせよ、もともとは利通のアイディアでない。殖産興業を推し進めたのは利通であるが、それも欧米列強の真似事といえばそれまでだ。いい意味で、人を遣い、人から盗むのが特技だったといえる。

○遊び心0%

 楽しいことを企画する等、生活に自然と遊びを取り入れることができる遊び心。これも全く持っていなかったようだ。そういわれれば、納得できる気がする。唯一の趣味と言われた囲碁も、もともとは囲碁好きの久光に取り入るために始めた、いわば道具。仕事のことを常に考えるストイックな性格だったのだろう。

 続いて、十二運星を見ていく。

「絶(ぜつ)」
 天才肌の面を持つ反面、人から裏切られたり常に精神的孤独を感じていたりと少し危うい面も持つ。

 利通は、順当な出世を果たしたと思いきや、なかなか危うい人生を送った。若くして薩摩藩内のお家騒動に巻き込まれ、久光派(天保改革派)と敵対する、斉彬派に付いていた父・大久保利世は喜界島に島流しされ、利通も父に連座して謹慎処分を受けた。それから数年、母や妹達の養育の責任がのしかかり、苦しい戦いの日々だった。現存する利通の文書の中で一番古いものはこの時期に書かれた借金依頼の手紙や証文であるという。いかに貧苦に責められていたかが推察できる。

 また、極めつけはその最期。1878(明治11)年、東京の紀尾井坂で石川県の征韓派士族6名に襲われ斬殺された。

「養(よう)」
「養」は子どもという意味を持ち、素直で人から好かれる。また、目上の人から引き立てを受ける星。しかし、年下の面倒を見るのは苦手。

 下級武士であった利通がなぜ薩摩藩内で大きな権力を持ち、明治政府の中枢で力を発揮することができたのか。目上の人に取り入るのがうまかったのだろう。お家騒動で父に連座して処分を受けた利通であるが、斉彬が藩主になると、引き立てを受け記録所書役助に復帰。2歳年上の西郷隆盛とともに、斉彬に才能を見いだされ、その後も出世を重ねた。

 また、斉彬の死後、先に述べたように久光に取り入った。どんな手を使っても久光に近づこうとする利通の努力の賜物であろうが、隆盛は久光と生涯反りが合わなかったという。利通は愛され上手だったのだろう。

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