■ 誰が作り、誰が公開したのか 

 最初に中国で公表された時点で、日本の外務省が偽書だとしていた根拠は、上奏が内大臣(天皇のそばにあって輔弼(補佐)する宮中の官職。御璽・国璽を保管し、詔勅・勅書その他の宮廷の文書に関する事務などを所管。国民から天皇へ奉呈される請願を取り継ぎ、天皇の意向に従って処理する。総理大臣、国務大臣とは分離されている閣外の宮中職で、敗戦直後の一九四五年十一月に廃止)ではなく宮内大臣(現在の宮内庁にあたる宮内省の長。当時の宮内省は内閣に属さない独立した組織だった)を経由していること、九カ国条約に対する打開策を協議する会議に山縣有朋が参加したことになっているが、その時点で山縣は死んでいること、田中義一の欧米訪問やフィリピンでの襲撃事件についての記述に事実関係の誤りがあることなどからだった。

 田中の名義で上奏されたとしても実際には官僚が書いたはずで、そうであれば、なおさらこのような間違いはするはずがない。したがって政府関係者が公務として書いたものではないというのが、偽書だとする根拠だった。

 では、偽書だとして、いったい誰が作ったものであろうか。

 中国の外交関係者説、中国の情報機関説、ソ連の諜報機関説など、諸説ある。だが、さまざまな説も入手経路の説明にはなっても、作成者については特定できていない。

 ソ連国内の権力闘争でスターリンに負けて亡命したトロツキーは、日本人協力者、つまりスパイがいて日本の機密文書を入手していたと暴露している。だが、それが「田中上奏文」であるかどうかは分からない。

 官僚ではないにしろ、「田中上奏文」の作成者が日本政府の実情にかなり詳しいことは間違いなく、中国人が独自に作成したとの可能性はほぼ否定されている。

 はたして本当に天皇に上奏されたものなのか。政府や軍の侵略に積極的だった者が自分の考えを書いただけのものだったのか。そのあたりは謎となっている。

 日本がいくら偽書だと主張しても、上奏文に書かれたのとほぼ同じ行動をとったため、なかなか信用されないようだ。

『世界を動かした「偽書」の歴史』より構成)