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【令和の教育様式】技術だけの「Society5.0」は教員と教育に何をもたらすのか

第62回 学校と教員に何が起こっているのか -教育現場の働き方改革を追う-

■検討本部への冷ややかな視線

 萩生田文科相が否定する「昭和の教職課程」とは、どういうものなのだろうか。冒頭で引用したように文科相は、「昔からの教育論や教育技術のお話をしているわけですから」と言っている。
 いかにも、古臭い教職課程のように聞こえる。しかし教育学部の教授をはじめ、「最近の大学の教職課程では理論はどんどん軽視されている」という声が多く聞かれる。「子どもたちの成長を支える根本的な理論を学びたいのに、学習指導要領をどう教えるかという実技の授業ばかりだ」と嘆く学生も少なくない。

 つまり、昔からの教育論や教育技術は、すでに軽視されている。教育論にいたっては、ほぼ無視される傾向にあるのではないだろうか。そして、技術については「昔の教育技術」ではなく「いまの教育技術」が優先されている。それは、学習指導要領を教える技術と言い換えてもいいかもしれない。現在の教員は、「学習指導要領を教える技術者」にされる傾向が強いのだ。
 現行の教職課程を否定することは「学習指導要領を教える技術者」の否定、さらには、学習指導要領そのものの否定ともなりかねない。

 昭和の教育論が役に立たないのであれば、それこそ「Society5.0時代」にふさわしい教育論が必要になってくる。そういった議論が検討本部で展開されるのであれば、そこに期待する大学関係者、現役教員、学生は多いに違いない。
 しかし、検討本部に期待する声はあまり聞かれない。大学や教員など文科相外部からもそうだが、文科省内部でも関心は薄いようだ。つまり、検討本部は期待されていない。萩生田文科相は「私自身が先頭に立ち、質の高い教師の確保に向けて取組を進めてまいりたいと思います」と意気込んでいるが、そうそう大きなことはできないと文部省の外からも内からも見られているのだ。

■技術重視・理論軽視の教育現場は変わるか

 検討本部ができることはせいぜい教育技術の「上乗せ」ではないだろうか。「Society5.0時代」に向けて文科省が打ち出しているのが「GIGAスクール構想」だが、それは一言でいってしまえば「ICT機器の利用」でしかない。現行の教育課程には欠けている領域であり、それが新たに教職課程における「必修」となる可能性は高い。
 とはいえ、それは教育論ではなく教育における「技術」の話である。現状の実技重視の教職課程にさらに実技が追加されるという、技術改良でしかない。そんなことなら、わざわざ検討本部のようなものを設置するまでもないことだ。それを、わざわざ「文部科学省を挙げて」と萩生田文科省が強調してみせるのは、ただ存在感をアピールしているにすぎない。だからこそ、関係者の注目度も低いのではないだろうか。

 萩生田文科省が「昭和の教職課程」を否定するならば、技術論ではなく、教育そのものを問い直さなければならない。必要なのは教育技術ではなく教育論なのではないだろうか。
 そうであれば文科省を挙げて取り組む意義はあるだろうし、おのずと注目されるはずだ。それを期待してよいのだろうか。

 

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前屋 毅

まえや つよし

フリージャーナリスト。1954年、鹿児島県生まれ。法政大学卒業。『週刊ポスト』記者などを経てフリーに。教育問題と経済問題をテーマにしている。最新刊は『ほんとうの教育をとりもどす』(共栄書房)、『ブラック化する学校』(青春新書)、その他に『学校が学習塾にのみこまれる日』『シェア神話の崩壊』『グローバルスタンダードという妖怪』『日本の小さな大企業』などがある。


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