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「端午の節句」はもともと男児を祝う行事ではなかった

「五節句」の意味と由来を知る

中国から伝わり、江戸時代に公的な行事・祝日となった「五節句」。なじみ深い「七夕の節句」「端午の節句」やあまり知られていない「人日の節句」などがある。そもそもどのような由来だったのだろうか?(雑誌『一個人』2018年1月号より)

旧暦の日付のため季節感と一致しない!?

「節」とは、季節の変わり目のこと。「二十四節気」のほかに、季節の節目に設けられた日を「節句」といい、特に重要な年中行事の日として「五節句」が定められた。もともと中国から伝わったもので、植物の力で邪気を祓う風習があり、それに日本の風習も合わさった。江戸時代には、公的な行事になり、農作業などの仕事を集落全体で休む日となった。
「新暦と旧暦では約1カ月のずれがあるのに、旧暦の日付をそのまま今の暦に当てはめています。だから、実際の季節感とは一致していません」と、國學院大學文学部教授の新谷尚紀さんは語る。

 確かに「上巳の節句」は、「桃の節句」として有名だが、桃の開花はだいたい4月に入ってからだ。また、「七夕の節句」は梅雨の真っただ中で雨の確率が非常に高く、天の川を見られることは稀だ。そのため、旧暦の季節感に合わせて、五節句にちなむ祭りを1カ月遅れで行う地域もある。8月7日に七夕祭りをする地域は、仙台を始め全国的に少なくない。
 ところで、1月の節句はなぜ1月1日ではなく7日なのだろう。
「元日は、1年の始まりの大切な日で、お屠蘇(とそ)で病を除けます。それよりも7種の薬草を食べる7日がよいと考えられたようです」。

画像/GAHAG

1月7日[人日(じんじつ)の節句]
 七草粥を食べて無病息災を祈願した
 正月7日の朝に七草粥を食べて、1年間の無病息災を祈る。中国では、元旦から6日までは獣を当てはめて占い、7日は人を占う日だったというのが人日の由来。旬の生命力溢れる七草にはさまざまな効能があり、七草粥は正月料理で疲れた胃をいたわるとともに、青葉の少ない冬場にビタミン補給もできる理にかなった食べ物といえる。

3月3日 [上巳(じょうし)の節句]
 身を清めたり人形(ひとがた)を流す風習があった
 女の子の成長を祝い、幸せを願う行事で、「桃の節句」として親しまれる。かつては紙の人ひと形がた(地方によっては雛人形(ひなにんぎょう))に
災いを移し、自分の身代わりとして海や川に流して邪気や厄を祓っていた。それが、貴族の女の子たちの「雛(ひいな)遊び」と結び付き、江戸時代になってから「雛祭り」として定着した。雛人形を飾り、縁起のいいお菓子や料理で祝う。雛祭りが終わるとすぐに人形を片付けるしきたりは、かつて川に流した風習の名残り。

 
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新谷 尚紀

しんたに たかのり

國學院大學文学部教授

国立歴史民俗博物館名誉教授。国立総合研究大学院大学名誉教授。民俗学者。1948年広島県生まれ。早稲田大学第一文学部日本史学科卒業、同大学院博士過程修了。主な著書に『和のしきたり 日本の暦と年中行事』(日本文芸社)『日本人の春夏秋冬』(小学館)など多数。


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