試作機の開発、そして初飛行

 かような状況下でデハヴィランド社が示した試案は、何と機体のほとんどを木材で造るというアイデアで、資材の供給面では、すでに推進されている既存の航空機の生産に悪影響を及ぼさないことから、第2次大戦勃発後の1939年12月、開発が承認された。

 こうしてデハヴィランド社は、軽量な木製の機体に、戦闘機のスピットファイアやハリケーンに装備されて定評のあるロールスロイス・マーリン液冷エンジン2基を装備する、モスキートと命名された試作1号機(シリアNo.W4050)を1940年11月25日に初飛行させた。テスト・パイロットを務めたのは同社社主の子息、ジェフリー・デハヴィランド・ジュニアである。ちなみに、東京で生まれ、名作映画『風と共に去りぬ』のメラニー役で名演技を見せた女優オリヴィア・デハヴィランドは従妹にあたる。また、パイロット席の右隣のナヴィゲーター席には、同社のエンジン関連技師ジョン・ウォーカーが座った。

 初飛行の結果、本機は稀に見る傑作機であることが判明。狂喜した空軍は、まず無武装の偵察型、次に夜間戦闘機型、戦闘爆撃機型の順で開発と戦力化を推進した。

 実はこのモスキートの成功を下支えしたのは、カゼイン系接着剤、フェノール・ホルムアルデヒド系接着剤、尿素ホルムアルデヒド系接着剤という、3種類の木材用接着剤の存在であった。航空機製造時、リベットやネジなどの接合金具の重量を削減する目的で各種接着剤が多用されるのは、現在では常識だが、当時、木製のモスキートは、この接着剤の多用による機体重量の軽減という技術の先駆となったのである。