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エジプト・カイロのサバイバル術。貧者の知恵

「今から思えば、三ポンドくらい…」 カイロ流交渉術③

 もともとバクシーシとは「目上から目下に与えること」を意味する中世ペルシャ語に由来します。つまり、自分を相手より下に置けば、バクシーシは自動的に「与えられるべき(金・モノ)」ものになります。

 バクシーシの文化は、貧者にとって生活の知恵であり、サバイバル手段です。与える方も、日々バクシーシを求められることで、いつ相手と状況が逆転するかわからないという天命の認識を新たにします。このロジックを交渉に利用するのです。

 たとえば、「何かをくれ」といわれたとき、「私の方が君より貧しい。バクシーシ!」と宣言します。これによって相手が目上、私が目下になります。相手が「いや、私のほうが貧しい」と反論してきたら、「私はこのTシャツ一枚しか持っていないけど、君は下着のうえにシャツを着ているではないか」といいます。すると、相手はシャツを脱いで、私にくれようとするかもしれません。これを受け取ると、また形成逆転されてしまいます。

 カイロの生活はバクシーシをめぐるこうした応酬の連続でした。その際、何より重要なのは態度です。

 相手がだれであろうとも、どんな危険な状況に見えようとも、自分を相手の目下に置く自然なふるまいを身につければ、そこには調和がうまれます。

 相手に対するリスペクトを持ちながらも、自分を卑下することなく、対等な人間として相手の懐に入っていく。それがバクシーシ交渉の極意です。

 カイロの自動車学校の話に戻りましょう。もともとエジプトで外国人が正式な手続きで免許を取ることは至難の業です。道交法なども覚えなくてはならず、しかもアラビア語です。

 しかし、教官の中には外国人をかんたんな実技だけで合格させてくれる者もいます。見返りに相場のバクシーシを支払うのが通例です。それさえ払えば、たとえ実技があまりできなくても合格させてくれます。私もそのつもりでいたのですが、この教官は相場以上のお金が欲しくなったのでしょう。そこで生徒にわざと違法行為をさせ、「それをばらしてほしくなかったら、もっと払え」という脅し戦術に出たのです。ここで教官のねらい通りに、私が多めのバクシーシを渡せば、不合格はその場で撤回されることはわかっていました。しかし、それでは相手の思うつぼです。私は何もいわずに車を急発進させました。教官はあわてました。

「どこに行くんだ?」
「軍の中央司令部です」
「どうして?」
「自白するためです」
「何を?」
「この車は軍の諜報部(アルムハバラート・アルハルベイヤ)のお偉いさんの息子さんに頼み込んで借りました。それなのに私は違法行為をしてしまった。私だけでなく、貸した彼も犯罪者になります。申し訳ないので、お父さんに報告して謝罪しなくてはなりません」

「ちょっと待て!」

 エジプトは軍事政権なので、すべての権力は軍に行きつきます。中でも軍の諜報部といえば、だれもが恐れをなします。一介の自動車学校の教官が軍ににらまれたら、その後の人生は真っ暗です。あわてるのも当然です。教官は手のひらを返すように不合格を撤回しました。

「ありがとうございます」
「礼には及ばない。君は立派に合格だ」

「先生のおかげです」

 といいながら、私はズボンのポケットからバクシーシを取り出しました。といっても、初めに渡すつもりだった相場の半分だけです。

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浅川 芳裕

あさかわ よしひろ

1974年、山口県生まれ。ジャーナリスト。エジプトの私立カイロアメリカン大学中東研究学部(1992年から93年)、国立カイロ大学文学部セム語専科(1993から95年)で学ぶ。アラブ諸国との版権ビジネス、ソニー中東市場専門官(ドバイ、モロッコなど)、『農業経営者』副編集長などを経て、『農業ビジネス』編集長。著書はベストセラー『日本は世界5位の農業大国』(講談社+α新書)、『ドナルド・トランプ 黒の説得術』(東京堂出版)ほか多数。訳書に『国家を喰らう官僚たち―アメリカを乗っ取る新支配階級―』(新潮社)。中東・イスラム関連記事では『「イスラム国」指導者の歴史観』『なぜ増える? イスラム教への改宗』(いずれも『文藝春秋スペシャル』)などがある。


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