名門・中央大、新たなるスタートの日

「3位、中央大学」のコールが響くと、選手たちは喜びを爆発させた。そして、800人もの大学関係者から温かな拍手が送られた。名門といえども、一度〝地獄〟に落ちると、簡単には抜け出せないのが近年の箱根駅伝予選会。そのなかで、中央大は1年で華麗なる復活劇を見せた。

 第92回大会(16年)まで87回連続で出場して、優勝回数は最多14回。箱根駅伝でナンバー1の実績を積み上げてきたのが中央大だ。第65回大会(89年)から第78回大会までは4位が最低成績で、その後も「連続シード」を死守してきた。

 しかし、第89回大会(13年)でまさかの途中棄権。28年連続シードがストップすると、前回ついに伝統の赤タスキが途切れた。

 寮のファックスに心ない言葉が届くなど、超名門の落選は大きな反響があった。中央大が急降下した原因のひとつは入学してくる選手のレベルが落ちたことにある。箱根駅伝で上位にいたころは、常連校でいえば、中央大のブランド力は輝いていたが、大学のネームバリュー、偏差値が同程度の青山学院大と明治大が活躍するようになり、選手の〝流れ〟が大きく変わったのだ。

 それだけでなく、選手のなかにあった「甘さ」も徐々に大きくなっていった。昨年4月、世界選手権の男子マラソン代表を3度経験した藤原監督が母校に戻ってくると、チームの実情に失望感を抱くほどだった。

「4月に入ってきたときの雰囲気は、同好会並みでした。本当にちょっとずつなんですけど、良くない方向に進んでしまった。人間は楽な方に流れます。長い年月をかけて、結果が悪くても、徐々に許されてしまうような雰囲気になっていたと思います」

 生活面での「緩さ」でいうと、22時までの門限を過ぎてもいい日が月に4回もあったため、それを月1回に変更。藤原監督が学生時代には認められていなかった原付バイクの使用も3・4年生はOKになっていたが、それも禁止した。そして6月の全日本大学駅伝予選会で惨敗して、藤原監督はある決断をする。当時1年生だった舟津彰馬を主将に抜擢したのだ。

 さらに舟津ら数人を米国で合宿させるなど、新たな強化策を次々と実行した。すぐに結果は出なかったものの、悪夢の予選会を経て、今年6月の全日本大学駅伝予選会からチームが変わり始めた。

「総合12位で落選しましたが、通過ラインまで68秒だったんです。頑張れば手が届くということが明確に見えたのが大きかった。あのあたりからチームの雰囲気がグッと良くなってきましたね」(藤原監督)

 その後、選手たちは精力的にトレーニングを積んだ。7月に800㎞、8月に900㎞を走破するという目標を立てると、それを全員が達成。9月の日本インカレでは舟津が1500mで優勝して、チームの雰囲気はさらに盛り上がった。

 そして箱根駅伝予選会。フリーで攻め込んだ中山顕(3年)、舟津、堀尾謙介(3年)の3人が59分台で駆け抜けると、5人が60分台で、残りの4人も61分台でフィニッシュ。堂々の3位で予選会を突破した。それは名門が苦しめられてきたた〝負の連鎖〟を断ち切っ瞬間だったと言っていいだろう。

「昨年は怒ることばかりでしたけど、今年はほとんど怒っていません。怒ってどうこうできるような世代ではないんだなということを私も学びました。自分で意識を変えられるようにという話をしています。どの大学も同じようなトレーニングをしているので、最後は気持ちの部分。駅伝は気持ち8割のスポーツだと思います」

 藤原監督はロジカルな指導をする一方で、ハートの部分も大切にしてきた。そして、チームを〝熱い言葉〟で引っ張ってきたのが2年生主将の舟津彰馬だった。〈第2回に続く〉

(『箱根駅伝ノート』より構成)