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蘇我氏の躍進はどこから始まったのか

本当に悪者だったのか? 蘇我氏の虚と実を追う!②

 大臣は重臣層を統括して若い天皇を支えていくわけであるから、豪族たちのなかで実力のみならず権威という点で他を凌駕する人物が選任されてしかるべきであろう。稲目がこれに抜擢されたのは、彼が建内宿禰を始祖とする最大最強の豪族連合の筆頭たる葛城氏を当時代表する立場にあったからとみなすことができる。

 他方、稲目が欽明の後宮に娘を2人(堅塩媛、小姉君)も入れることができたのは、稲目が名門葛城氏に連なる存在であったからにほかならないであろう。欽明サイドとしても天皇としての権威を増すためには、できるだけ名家・名門から后妃を迎えたいという欲求があったに違いない。さらに、稲目が百済から伝えられた仏法を主宰することをまかされたのも、彼が葛城氏を受け継ぐ存在であったからにほかならない。稲目や蘇我氏は、すすんで仏教を受け容れたというよりは、欽明に見込まれて仏法の主宰を委託されたとみなすべきであろう。

 このように、蘇我氏が大臣の地位を世襲していくためには葛城氏との繋がりを確保・維持していることが不可欠の条件であった。馬子は正真正銘、その身に葛城氏の血脈を受け継いでいたから問題ないが、彼以後は葛城氏の血の濃度が低下せざるをえなくなる。葛城氏の拠点であった葛城の中心部は天皇家に取り上げられ、天皇家の直轄領である県が置かれていた。馬子がその晩年、姪にあたる推古天皇にこの葛城県の拝領を要求したのは、彼の没後、その子孫が大臣の地位を円滑に安定的に相承していけるようにするためだったのである。

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遠山 美都男

とおやま みつお

昭和32年(1957)、東京都生まれ。学習院大学文学部卒業。同大学大学院人文科学研究科博士後期課程中退。博士(史学)。著書に『聖徳太子の「謎」』(宝島社)、『日本書紀の虚構と史実』(洋泉社歴史新書y)など多数。


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