「大家は証拠もなしに武士に無実の罪を着せようとした。その罪は大きい。過料として三十両を払え。
 女衒の手数料は十分の一か二十分の一のはず。五十両のうち十五両を取るのは不義であり、死罪に相当するが、特別に赦免する。その代わり、過料二十両を払え。
 大家の三十両、女衒の二十両を合わせて五十両。この五十両で娘を吉原から連れ戻し、親元に返せ」

『窓のすさみ』に拠ったが、奉行の裁きはなかなかの名判決といえよう。
 計算すると、彦根藩邸でおきた密通は享保のころである。当時、享保の改革の最中で、武家屋敷の風儀はきびしかった。
 その後、武家の風紀は弛緩し、武家屋敷では不義密通はよくあることで、たとえ発覚しても隠蔽して表沙汰にしなかったことは、これまで書いてきた通りである。

 それにしても、当時の親がいかに簡単に自分の娘を売ったかを知ると、暗澹たる気分になる。