《美食バカ一代》単なるガイドブックの枠を超えた世界の『美味しんぼ』が世紀末のフランスに生まれた理由は?【ミシュラン完全制覇への道】
タイヤ屋のガイドブックに取りつかれた漢(おとこ)魂の十皿目
『ミシュランガイド』とは、いったい何か? 単なるお店のガイドブックなのか? グルメな記者の提灯記事なのか? それとも……?「世界のミシュラン三ツ星レストランをほぼほぼ食べ尽くした男の過剰なグルメ紀行」の著者である藤山氏は、それが持つ世界観の奥深さを指摘する。これはただの一冊の本では終わらない。地球上のシェフの命運をも左右するという『ミシュランガイド』の正しい読み方、そして楽しみ方を教えて頂こう!
■運転手向けのガイドブックがルーツ!

こうして、一躍、フランスを代表するタイヤ会社に成長したミシュランだったが、さらに、「ミシュラン」を有名にしたのが、この『ミシュランガイド』だった。
当時、フランスにはチーズはあったが、地図がなかった。だから、知らない町には、どこに何があるかわからない。
したがって、パリの金持ちは車を所有していても、知っているパリの道しか走れないから、市内をモルモットのようにただグルグルまわっているだけであった。パリジャンをモルモットにしてはいけなかった。ともあれ、パリ以外に出かける、いわゆるドライブの習慣がなかった。
そのことに気づいたのが、今度は兄のアンドレ・ミシュラン。
時は1900年。折からのパリ万国博覧会が開催され、新世紀を祝う万博として、約4800万人が訪れたと言われている。日本から、川上音二郎(1864~1911)、貞奴(1871~1946)が行って大人気になったのは有名な話だ。

パリ万博に来た方は、当然、フランスを観光する。
「パリ市内はもちろん、フランス中を車で駆け巡るのにガイドブックが絶対必要だ!」
賢いアンドレは、そう直感し、ミシュラン社の宣伝を兼ねて、自動車による旅行者に対して、道路地図はもちろん、郵便局やガソリンスタンドのある場所、ホテルやレストラン、さらには自動車の整備法からパンクなどの事故処理に至るまで書かれたガイドブックを無料で提供したのが、『ミシュランガイド』のはじまりだ。初版は3万5000部だったというから、すごい宣伝物だ。
これがきっかけとなって、二度の世界大戦中を除いて、この『ミシュランガイド』は以来、毎年更新しているからもう100年以上も続いていることになる。
有料になったのは、1920年から。それまで無料だったのが、どうして有料になったのか。
それには、こんなエピソードが残されている。
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KEYWORDS:
星の意味するところとは、以下の通り(ミシュランガイドのホームページより引用) 三つ星・・・そのために旅行する価値のある卓越した料理 二つ星・・・遠回りしてでも訪れる価値のある素晴らしい料理 一つ星・・・そのカテゴリーで特においしい料理 ビブグルマン・・・コストパフォーマンスの高い飲食店・レストラン。丁寧に作られた良質な料理が手頃な価格で食べられる お勧めのお店・・・星、ビブグルマンはつかないけれども調査員お勧めの飲食店・レストラン