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東アジア初の女帝、推古天皇はいかにして誕生したのか?

女性天皇君臨の系譜の謎①

 重視すべきは、臣下によって第32代崇峻天皇が暗殺される前代未聞の大事件のあとをうけて、推古天皇が即位したという事実だ。もともと蘇我氏の血を引く崇峻天皇の即位を主導したのは、皇太后だった推古天皇その人だ。これは当時、即位前にもかかわらず、推古天皇が大きな政治的発言力をもっていたことを示す。
 しかも、崇峻天皇即位前に皇位を狙っていた穴穂部皇子が誅殺されたのも、皇太后たる推古天皇の「詔」によるもの。その頃すでに天皇に準じた権威を身につけていたことが分かる。こうした権威は何に基づくのか。第30代敏達天皇の皇后だったという経歴。「私部(きさいちべ)」という皇后の地位に付属する経済基盤。皇統の本流に位置していた点も見落とせない。その上、本人の才能・資質の面でもすぐれていたようだ。こうして、推古天皇は皇族の中でも卓越した立場にあった。

 これに対して崇峻天皇は皇族の中で孤立し、「気にくわないヤツを殺してしまいたい」と口走るような朝廷にとっても危険な人物だった。よって、その排除はおそらく皇族や豪族ら一同の合意によるものだろう。だからこそ、暗殺後に何の波乱も起きていない。

 しかも当時、随との交渉をはじめ内外に仮題は山積していた。これに国内が一致結束してたるためには、信望のある推古天皇即位以外に選択肢はなかった。

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高森 明勅

たかもり あきのり

1957年、岡山県生まれ。歴史家・神道学者。拓殖大学客員教授、防衛省統合幕僚学校講師などを歴任。現在、日本文化総合研究所代表、國學院大學、麗澤大学の講師。著書に『歴史で読み解く女性天皇』(小社刊)、『二本の10大天王』(幻冬舎)など。


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