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プロ教師曰く。「説得と納得」は教育の堕落だ!

【ゆとりからアクティブ・ラーニングまで】教育改革の9割が間違い 第8回

生徒には納得しない権利がある

 だが私は、生徒は「教師のちから」に対しても納得しない権利があると思っている。生徒は、教師と対等な別の人格だからである。

 実は、対称的とか相似的だとかいうイメージは、生徒の反発や反抗を許さない強く抑圧的な関係論なのである。なぜなら、教育の必要性はお互いが対称的、相似的でないことから発生するからである。
 彼らは教育技術(方法)として「説得と納得」があるといったのではない。そうであるなら私も問題にする気はない。

 彼らは教師と生徒の関係の基本として、「説得と納得」というあり方が正しいといったのである。先の教育関係論に基づけば、生徒は教師につき従うべきであるということである。

 彼らが、隠された強制性についてはどう考えているのか疑問をもった私は、番組内で「じゃあ、その教師の説得の権限はどこから来るものなのですか(何に由来しているのか)」と尋ねた。だが、質問がむずかしかったためか、さすがの尾木氏も何にもいってくれなかった。

 彼らは、生徒が同意しなくても説得は開始しうるし、生徒は説得である限り、納得しないはずはないと考えていたのであろう。
 説得する権限は、教師が生徒からもらったものではない。教師があらかじめ保有しているものと考えるしかない。

 つまり、教師は生徒の同意に先立つ権限を持っていることになる。説得も教師の上位性に由来するのである。彼らがイメージしているような生徒にやさしいものではないのだ。
 彼らも、当時中学教師を必死にやっていた。「教師のちから」の内部に居るしかない。従って、彼らの教育技法も権力的なのである。「教師のちから」には権力性が内在している。
 ただ、彼らにはそれが見えないか、見たくないかのどちらかである。「教師のちから」が生徒を思ったとおりに動かしたり、さらには思ったような人間(社会的な個人)にしようと欲望することは避けられない。

次のページ説得ではなく、考えを述べるだけ

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諏訪 哲二

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~プロフィール~

1941年千葉県生まれ。「プロ教師の会」名誉会長。作家。東京教育大学文学部卒業。埼玉県立川越女子高校教諭を2001年3月に定年退職。「プロ教師の会」は、80年代後半に反響を呼んだ『ザ・中学教師』シリーズ(宝島社)をはじめとして、長年にわたり教育分野で問題提起を続けている。著書に『なぜ勉強させるのか?』『間違いだらけの教育論』(以上、光文社新書)、『オレ様化する子どもたち』『「プロ教師」の流儀』(以上、中公新書ラクレ)など。


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