内侍局は、もと品川宿の宿場女郎で、名は琴、二十五歳だった。安藤若狭は、もとは浅草に住んでいた善兵衛という町人で、五十三歳だった。文化二年の夏、ふたりは旅先で知り合い、公家の娘とその家来をよそおって世間をあざむくことを計画したのだという。
 お琴は重追放、善兵衛は手鎖に処せられた。

 その後、いろんな風説が流布した。
 お琴は本当に公家の娘だったという。素行が悪く、屋敷を出奔して関東に流れてきたのだとか、男にかどわかされ、連れまわされていたのだとかいう説もあった。

 また、幕府老中が京都の日野家に問い合わせたところ、「当家の娘ではないが、なにぶん女の身で不憫であるから、よろしくお取り計らいください」という内容の、なんとも意味深長な答えが返ってきた。
    老中はその返答に、「日野家の娘であるが、表向きはそうでないことにして、送り返してほしい」という含みを読み取り、お琴を駕籠に乗せ、ひそかに京都に送り返したという。

『街談文々集要』に拠ったが、この事件は『きゝのまにまに』や『藤岡屋日記』にも記載がある。
 それにしても、公家の娘ともなれば、気品のある顔立ち、典雅な物腰、教養あふれる言葉づかいなどなど、誰しも「さすが公家のお姫さま」と感服するだけものを身につけているであろうに、あばずれの宿場女郎がよく化けおおせたものである。というより、先入観が「さすが、公家のお姫さま」と思わせただけなのかもしれない。人間にさほど差はない。

 現在でも、大名の子孫と称する人がいる。そういう人を、周囲はよく、「どこか、おっとりしたところがある」、「なんとなく気品がある」、「殿さま顔をしている」、「お姫さまの顔立ち」などと評する。
 しかし、大名の子孫という先入観があるために、一挙手一投足がそう感じられるのではあるまいか。先入観や予備知識がまったくなければ、その人物をいくらしげしげ観察しても、容貌や挙措から大名の子孫とは絶対にわからないはずである。