僕は由緒正しい「おたく」少年だった

 慶應義塾普通部時代、つまり中学生の頃の僕は、いま思えば「おたく」だった。

 友だちの知らないこと、いや、もっと言えば、特に知らなくてもいいことに異常にくわしく、しかもただそれだけならまだしも、「こんなこと、知らないだろう」とどうでもいい知識を誇らしげに友だちにひけらかす「おたく」少年だった。

 たとえば、プロレスの技。プロレスラーには、いわゆる「フィニッシュ・ホールド」と言って、これがかかったら相手が必ずギブアップか、3カウントのフォール負けするという「技」がある。アントニオ猪木(1943〜)であれば、「卍固め」とか、ザ・デストロイヤー(1930〜)なら「足4の字固め」とかだが、これならファンなら誰でも知っている。

「由緒正しい」おたくの藤山は、そこから一歩入るのだ。

「猪木の新しい技『ニュー卍固め』って、知らないだろう? 僕知ってるよ」とか、「ラッシャー木村(1941〜2010)の『回転足4の字』は?」とか、相手が知らないところをグイグイ突いて、「どうだ、僕って、すごいだろう」と思わせたがる、困った子だったのだ。こういう会話を、僕たちは「活字プロレス」と言っていた。言葉によるプロレスだ。

 もう、おわかりだろう。そうなのだ。この「おたく」少年、藤山純二郎が、このまま大きくなった時、困ったことに、「食べ歩き」に凝りだしてしまったのである。