【実は“織田信長の生誕地”という説が有力、愛知県愛西市の勝幡城】 | BEST T!MESコラム

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実は“織田信長の生誕地”という説が有力、愛知県愛西市の勝幡城

季節と時節でつづる戦国おりおり第308回

 愛知県、愛西市。日光川、勝幡城跡と来てその少し東には三宅川という川が並行して流れており、かつての勝幡城はこの三宅川を天然の外堀としたうえで東西は50mあまり、南北80m弱の規模の敷地に2重の水堀をめぐらせていたそうです。

 現在城跡の横を流れる日光川は後世の改修によって流路が変わっているとのことですが、勝幡城は三宅川と日光川の前身である萩原川の水運を支配する要衝だったのでしょう。駅前にある復元模型を見ても、その物資集積と流通にうってつけの機能性は明らかですね。

 

 勝幡城跡比定地の石碑にある「織田弾正忠平朝臣信定」というのは、信長の祖父・信貞です。彼の修築に成るという勝幡城は、子の信秀の代になると「城の内新造(中略)目を驚かし候いおわんぬ」(天文2年=1533)とこの地を訪れ城内の新築の館を見た公家・山科言継も絶賛したほどに豪華な建物が築かれ、言継が指導する蹴鞠の会に数百の見物人が集まったといいますが、支配下の商業の港湾都市・津島からあがる利益だけでなく、この勝幡自体もさぞ繁栄した場所だったのでしょう。

 ちなみに最近では信長が生まれた天文3年(1534)当時、まだ信秀の手に入っていなかったと考えられるところから、信長の生誕地も勝幡城だった可能性が高いという説が有力となっております。

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橋場 日月

はしば あきら

はしば・あきら/大阪府出身。古文書などの史料を駆使した独自のアプローチで、新たな史観を浮き彫りにする研究家兼作家。主な著作に『新説桶狭間合戦』(学研)、『地形で読み解く「真田三代」最強の秘密』(朝日新書)、『大判ビジュアル図解 大迫力!写真と絵でわかる日本史』(西東社)など。


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