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いきすぎた学校のルールでは子どもの【考える力】は育たない

第47回 学校と教員に何が起こっているのか -教育現場の働き方改革を追う-

学校

■校則以外のルールは必要か

 いま、「学校スタンダード」なるものが問題になってきている。校則とは別の、学校での「決まりごと」である。例えば、持ってくる鉛筆の数が決められている学校も少なくない。その他にも「両拳を膝の上に置く」と、座り方まで指定していたり、「廊下を歩くときには1列で」といった指示まである。さらには、座ったときに足を置く場所までが決められていて、その位置に印をつけている学校までがあるという。

 校則にするには細々しすぎているが、それでも学校として子どもに強制したいことが「スタンダード」なのだ。しかし、ここまで細かく決めてしまう必要があるのだろうか。
 そういう細々とした「決まりごと」を押し付けられていては、子どもたちは不自由で仕方ないはずだ。「学校が軍隊の兵舎化している」という気がしないでもない。

 ある教員は、そんなスタンダードでがんじがらめにした教室を「檻」と表現したが、なるほどである。子どもたちを「檻」に入れておけば、学校や教員としては管理しやすい。見た目には、多くの子が「良い子」になるからだ。
 しかし、それは大人にとっての「良い子」にすぎない。子どもたちも本当の自分を「檻」に入れてしまって「良い子」を演じているにすぎない。それが教育のあるべき姿なのか疑問を感じないわけにはいかない。
 それが学校のスタンダードになっていくとしたら、学校は子どもたちを抑えつけ、従わせる場になりつつある。すでに、そうなっているのかもしれない。

■子どもの自主性よりも効率化を選んではいけない

 学校スタンダードは、言い換えればマニュアルである。マニュアルがあれば、いろいろ考える必要はない。決められたことを決められたとおりにやればいいだけだから、ある意味では楽かもしれない。
 それに対して教員たちはどう考えているのだろうか。教員たちと話をしてみると、こうした動きに疑問をもつ人は少なくない。「とんでもない」と言う教員もいた。それでも、学校ではスタンダードの導入が加速してきている。そして教員は、それを守らせる指導をしている。
 本音では疑問を感じ、問題であると思いながらも、拒否することができないため、指導する役割を演じているのだろうか。それとも、スタンダードこそが学校にはふさわしいとと考える教員が多いのだろうか。

 小学校では2020年度から全面導入され、中学校では2021年度から全面実施が予定されている新学習指導要領でも、「生きる力の育成」が強調されている。その新学習指導要領を紹介する保護者用パンフレット「生きる力」を文科省が作成しているが、そこで生きる力は次のように説明されている。

「基礎的な知識・技能を習得し、それらを活用して、自ら考え、判断し、表現することにより、さまざまな問題に積極的に対応し、解決する力」

「自ら考え、判断」することが生きる力だ、というわけだ。全部の授業を受けるために必要な鉛筆の本数を考えなくても、それは学校スタンダードによって決められている。子どもたちが考える前に、教員が「持ってくる鉛筆は◯本です」と指示する。いわば、「考えさせない指導」をすることになる。これでは、新学習指導要領に逆らうことになるのではないだろうか。
 鉛筆の本数まで決められることに対して「おかしい」と感じる子どもや、「そこまで決める必要はないのではないか」と疑問を持つ教員が出てくる可能性がある。

 そういう子どもや教員の首根っこを抑えてでも、どうしても学校スタンダードに従わせるのだろうか。それでも従わなければ、「問題児」として扱い、教員なら評価を引き下げるのだろうか
 それを受け入れるのかどうか、学校だけの問題ではない。そういう学校の姿が、近い将来の日本という社会をつくっていくからだ。

■子どもたちの将来を考えた教育

 今後10年〜20年ほどの間に、現在ある仕事の半数近くが自動化される可能性が高いという、マイケル・オズボーン氏(オックスフォード大学准教授)の予測が日本でも注目を集めた。そうしたなかで生き抜いていくためには、新しい仕事を生み出し、新しい仕事をこなしていく力が必要だと言われている。
 指示されることを待っているだけの姿勢では、生きていけない。指示されることを待っているだけの人材が増えれば増えるほど、日本の社会は危うくなるともいえる。

 ところが教育の場では、学校スタンダードというマニュアルが盛んにつくられ、それに従うことが強制されている。決められ、指示されなければ動けない子どもたちを育てていこうとしている
 まさに、危うい日本をつくるための教育になっていないだろうか。なにより、子どもたちは新しい時代を生きていけるのだろうか

 学校スタンダードは大人にとって管理しやすい「良い子」をつくることにはなるかもしれないが、それが本当に子どものためになるのだろうか。子どもにとっても社会にとっても実は危うい面をもっているという視点から、学校スタンダードを問い直す必要があるのかもしれない。

 

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前屋 毅

まえや つよし

フリージャーナリスト。1954年、鹿児島県生まれ。法政大学卒業。『週刊ポスト』記者などを経てフリーに。教育問題と経済問題をテーマにしている。最新刊は『ほんとうの教育をとりもどす』(共栄書房)、『ブラック化する学校』(青春新書)、その他に『学校が学習塾にのみこまれる日』『シェア神話の崩壊』『グローバルスタンダードという妖怪』『日本の小さな大企業』などがある。


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