【他人の女房を奪った男に、名奉行が与えた痛快な制裁】 | BEST T!MESコラム

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他人の女房を奪った男に、名奉行が与えた痛快な制裁

江戸の性 第121回

イラスト/フォトライブラリー

『江戸の性事情』(ベスト新書)が好評を博す、永井義男氏による寄稿。

 矢部定謙は大坂町奉行を務めているとき、名奉行とたたえられた。 

 天保十二年(1841)には江戸町奉行に起用されたが、わずか在任八ヵ月で罷免された。この背景には、天保の改革を推進する老中水野忠邦との対立や、町奉行の座を狙う鳥居耀蔵の陰険な画策があった。

『燈前一睡夢』に、矢部定謙が人情の機微に通じていたことを示す例がある。矢部が江戸町奉行だったときのことである。

 本郷三丁目に久助という八百屋が住んでいた。久助の女房が、近所に住む伝七という男と密通した。

 女房の不倫を知った久助は、事を荒立てることなく、伝七に面会して、

「あたくしはもう女房に未練はございません。もし女房がほしければ、差し上げましょう。それなりの挨拶をしていただければ、それでもう後腐れはございません。ただし、近所に住まわれていてはあたくしも面目丸つぶれなので、引っ越してください」

 と、申し入れた。

 伝七もこれを了承し、「肴代」として五両を久助に贈った。いわゆる慰謝料である。

 これで一件落着したかに思われたのだが、その後、伝七はいっこうに引っ越す気配がない。それどころか、まるで久助をあざ笑うかのように、女房と酒を呑んで毎晩、大騒ぎをしている。

 久助はしばしば引っ越すよう申し入れたが、伝七はまったく取り合わない。ついにたまりかねて、久助は町奉行所に訴え出た。

 訴えを取り上げた矢部は、さっそく伝七を奉行所に召喚した。ひととおり事情をたしかめた上で、糾問した。

「なぜ、当初の約束どおりに引っ越さぬのか」

「あたくしも引っ越したいのは山々なのですが、引越しをする金がございません」

「しからば、そのほうに引越料をくだし置くので、早々に引っ越せ」

 そう命じるや、矢部は引越料として五貫文をあたえた。

 伝七は他人の女房はもらうし、役所から引越料は支給されるわで大喜びである。

 意気揚々と帰宅すると、なんと、わが家は封印されており、なかにはいることもできない。驚いた伝七は、家主のもとに駆けつけた。家主とは、地所や家屋の所有者である。

「いったい、どういうことですかい」

「さきほど、お奉行所から命令があり、『公儀より引越料をちょうだいした以上、伝七はすぐさま引っ越さねばならぬ。この家にはもはや住むことはあいならぬ。伝七の家財道具一式は久助にさげ渡せ』との、ことでしてね。

 気の毒ながら、おまえさんはお上からちょうだいした五貫文を持って、女房とふたり、着の身着のままで、どこへでも行ってください」

 それまで有頂天になっていた伝七も、一転して途方に暮れた。

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永井 義男

ながい よしお

小説家、江戸文化評論家。1997年『算学奇人伝』で開高健賞受賞。時代小説のほか、江戸文化に関する評論も数多い。著書に『江戸の糞尿学』(作品社)、図説吉原事典(朝日新聞出版)、江戸の性語辞典(朝日新聞出版)など。


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