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名古屋人以外も知っていてソンはないまち〈長久手〉

名古屋地名の由来を歩く

なんとも恐ろしい「血の池公園」

 地下鉄東山線の終点藤が丘駅(名古屋市名東区)でモノレール「リニモ」に乗り換えて三つ目が長久手古戦場駅(長久手町)である。このリニモは平成17年(2005)に開催された「愛・地球博覧会」の会場へのアクセスとしてつくられたものである。日本初のリニアモーターカー常設実用路線で、正式には「東部丘陵(きゅうりょう)線」という。

 長久手古戦場駅はかなりの高架にあり、とても古戦場といった感じではない。

 その高い駅から北の方に小高い山並みが見えるが、そこが家康の陣取った色金山である。その山から駅に至る一帯が長久手の古戦場ということになっている。

 駅を降りて左手に100mも行くと、そこが古戦場公園である。公園の南端に「庄九郎塚」があるが、これはここで命を落とした池田元助の塚である。幼名が「庄九郎」であったことにちなむ。また、公園の西400mほどのところに「武蔵塚」なる塚がある。これはこの戦いの悲劇のヒーローともいえる森長可の塚である。「武蔵守」を名乗っていたことにちなんでいる。

 公園の一角に長久手町郷土資料室がある。そこで、色金山に行くにはどうすればいいのかと尋ねたところ、親切なおじさんが「だったら、そこにある自転車を使ったらいい」と言ってくれるではないか。こんな親切がいちばん心にしみる。

 確かに歩いたら一時間もかかってしまいそうな距離である。色金山の頂上には写真に見るような「床机石(しょうぎいし)」があり、この石に座って家康は軍議を行ったと伝えられる。

家康が軍議を行ったとされる「床机石」

 再び古戦場公園に戻って、その西側にある「血の池公園」という聞くだに恐ろしい公園に足を運んでみた。今はグランドになっているが、明らかにかつては池であったような地形になっている。
 石碑にはこのようにある。

 血の池は、家康方の渡辺半蔵などの武将が、血槍や刀剣を洗ったことからその名の呼び名がついたと言われています。毎年合戦の行われた頃になると、池の水が血の色に赤く染まって漂ったと言い伝えられており、名松「鎧掛の松(よろいがけのまつ)」とともに永く人々の心に語り継がれてきました。

 それにしても、近所の子どもたちが「血の池公園に遊びに行こうよ!」などというのはちょっと不思議な感じがする。これも歴史のひとこまだ。

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谷川 彰英

たにかわ あきひで

筑波大名誉教授

1945年長野県生まれ。ノンフィクション作家。東京教育大学(現・筑波大学)、同大学院博士課程修了。柳田国男研究で博士(教育学)の学位を取得。筑波大学教授、理事・副学長を歴任するも、退職と同時にノンフィクション作家に転身し、第二の人生を歩む。筑波大学名誉教授。日本地名研究所元所長。主な作品に、『京都 地名の由来を歩く』シリーズ(ベスト新書)(他に、江戸・東京、奈良、名古屋、信州編)、 『大阪「駅名」の謎』シリーズ(祥伝社黄金文庫)(他に、京都奈良、東京編)『戦国武将はなぜ その「地名」をつけたのか?』 (朝日新書)などがある。

 

 

 

 

 

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  • 2011.10.08