政治家・官僚・国民全体に「デジタル化の必要性」が真に認識されていない

菅内閣のデジタル庁創設でいま注目されているのが日本社会のデジタル化の遅れ度合。コロナ危機は今後日本のデジタル化・AI化・ロボット化を一気に推し進める契機になった。とはいえ、デジタル化を怖れてはいけないと語るのが『馬鹿ブス貧乏で生きるしかないあなたに愛をこめて書いたので読んでください。』の著者・藤森かよこ氏(福山市立大学名誉教授)。近い将来に日本にもやってくる「デジタル化された世界」を予測。さらに、デジタル化時代の到来を怖がらずに生き残るための心構えについて語る。 ■菅政権「デジタル庁」創設  2020年9月16日に発足した菅義偉内閣は「デジタル庁」を創設する。「行政の縦割り、既得権益、悪しき前例主義、こうしたものを打ち破って規制改革を全力で進める」(9月17日朝刊『日本経済新聞』)。  日本政府がIT(情報技術)基本法を施行したのは2001年だった。しかし国連の調査では電子政府ランキングにおいて日本は14位である。1位はデンマーク、2位は韓国、3位はエストニアである。  日本が電子政府後進国なのは、各省庁や各自治体や保健所や医療機関がシステム構築をそれぞれに特定のIT企業に発注してきたので、公的機関のシステム間連携ができていないからだ。  だから、国民や住民個人の戸籍、住民票、加入公的年金や健康保険や入院歴や税金支払い履歴や国家資格や免許取得状況や自家用車番号や旅券番号や渡航歴や賞罰歴などが、公的機関においてビッグデータとして集積集約されていない。ほんとうならばマイナンバーカード1枚ですべての公的手続きができるはずなのに。  情報漏洩の危険がありプライバシーが侵害される? サイバー攻撃への備えは当然だ。プライバシー? 個人データが集約管理されて困るのは犯罪者くらいだろう。トイレの使用状況までデータ化されるわけではない。  それとも、何か深謀遠慮でもあるのだろうか? 故意に原始的にしておくというのは日本の国家戦略なのだろうか? 核戦争で放射能物質が充満しても計器に狂いが出ないように、あえて「真空管」を使用していた冷戦時代のソ連の戦闘機や爆撃機のように。 ■デジタル化が必要な真の理由はコロナ危機でも資本主義のコスト削減でもない  日本のデジタル後進国ぶりの理由は、単に「行政の縦割り、既得権益、悪しき前例主義」だけではない。政治家や官僚を含む国民全体に、デジタル化の必要性が真に認識されていないからだ。つまり日本人の世界基準での教養不足ゆえだ。  デジタル化は、新型コロナウイルス感染拡大防止のために急に必要になったわけではない。世界経済フォーラム(ダボス会議)が提唱する「第四次産業革命」や、それの日本版の「Society 5.0」や「スマートシティ構想」や「ムーンショット目標」が示すように、デジタル化は世界の課題だ。  AIやロボットがコストと生産性において人的労働力を凌駕する時代は来る。この時期を、人工知能研究者でありシンセサイザーK250や文章音声読み上げマシーン発明者のレイ・カーツワイル(Ray Kurzweil:1948-)は、シンギュラリティ(singularity)と呼んだ。その意味は「非凡さ、奇妙さ、特異性、単独性」である。  「特異性とはなにか。テクノロジーが急速に変化し、それにより甚大な影響がもたらされ、人間の生活が後戻りできないほどに変容してしまうような、来るべき未来のことだ。それは理想郷でも地獄でもないが、ビジネス・モデルや、死を含めた人間のライフサイクルといった、人生の意味を考えるうえでよりどころにしている概念が、このとき、すっかり変容してしまうのである」(井上健監訳、小野木明恵・野中香方子・福田実共訳『ポスト・ヒューマン誕生—コンピューターが人類の知性を超えるとき』NHK出版、2007、p16)。  カーツワイルは、その時期は2045年だと予測した。未来予測について20年くらいの誤差は許容範囲だから、シンギュラリティは2065年ぐらいかもしれない。それでもたった45年先だ。  45年前の1975年からでも世界は大きく変わった。45年前にはインターネットはなかった。デジタル通貨など発想もされていなかった。オンライン化により在宅勤務が労働形態になる日など想像されていなかった。金属の薄い板で映画やドラマを無料で視聴できる日が来るとは思っていなかった。  「シンギュラリティなど来ない!」説もある。しかし、私は、カーツワイルが前述の『ポスト・ヒューマン誕生』の第一章の序言として掲げる哲学者ショーペンハウアーの言葉「誰しも、自分の想像力の限界が、世界の限界だと誤解する」に共感する。