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【東京「地名」ケンミン性】江戸遷都で命名——「八重洲」「高島平」「乃木坂」など有名人に由来する地名が多い《47都道府県「地名の謎」》

【全国地名由来辞典】県や町の名前から郷土のドラマをひもとこう!_東京都


 日本の地名は世界でも稀に見るほどバリエーションが豊富。
 地名の由来を探ると、多様な地形、自然を愛でる表現性、ふるさとを思う民俗性など、この国の原点が見えてくる。
 読者のみなさんの故郷はどちらですか? 地名は・・・
 日本人ならなぜか初対面でも話が弾む出身地・県民性・そして地名雑学‼️
 ようこそ! 地名の奥深い世界へ‼️


■人名、信仰、伝説と由来も様々

八王子にある「千人町」という地名は、江戸時代、千人同心が置かれたことによる。

《東京都の由来》京都の西京に対し東に誕生

 戊辰戦争ののち、天皇を中心とする中央集権的な統一国家を樹立するにあたって、首府をどこに置くかが重要な政治課題となった。
 このときいくつかの遷都論が登場するが、最終的に「江戸遷都」が採用される。こうして慶応4(1868)年7月17日明治天皇が発したのが、「江戸ヲ称シテ東京ト為スノ詔書」である。この詔勅により京都の西京に対して、東方に天皇が政務を執る新都の設定が決定し、「東京」という名称が誕生した。


《地名の由来》

◉王子(おうじ):熊野若一王子を勧進

 紀州牟婁(むろ)郡より熊野若一王子(くまのにゃくいちおうじ)を勧進したことにより生まれた地名。
「王子」とは、京都から熊野に至るいわゆる熊野詣での拠点となる、いわゆる熊野権現の末社のことで、この地には今も立派な王子神社が鎮座している。

◉恋ヶ窪(こいがくぼ):遊女が身を投げた伝承

 鎌倉時代の武将・畠山重忠に寵愛された遊女が、重忠の討ち死の知らせに悲嘆し、池に身を投げたという伝承が残る。
 ほかにも「狭い窪地」を意味する「峡が窪(かいがくぼ)」、国府付近の窪地という「国府ヶ窪」が由来とも。

◉柴又(しばまた):もともとは「嶋俣」

 奈良時代には「嶋俣」。古来、この地は多くの川が入り組んでいたことから、土砂が堆積してできた「嶋(島)」と、河川が合流分岐する「俣」という地形から連想された地名だ。
「柴又」に変わったのは室町時代以降とされる。

◉業平橋(なりひらばし):歌人の在原業平に関連

 平安時代を代表する歌人・在原業平は、都に上ろうとして舟に乗ったが、舟が転覆して溺死したという。『江戸名所記』によると、この地にはかつて南蔵院という寺があり、その境内に「業平天神社」があったことに由来する地名とされる。

「業平橋駅」は現在「とうきょうスカイツリー駅」に改名。

◉八王子(はちおうじ)8人の王子を祀る

 牛(ご)頭天王と8人の王子を祀る信仰の広がりのなかで「八王子神社」が建立され、地名として定着した。
「八王子」と呼ばれた時期は定かではないが、地名としての初見は、永禄12年(1569)年北条氏康の書状とされる。

◉両国(りょうごく):ふたつの国に架か橋

 貞享3(1686)年南葛飾郡武蔵国へ編入されるまで隅田川(当時は大川)武蔵国と下総国の国境であった。
 つまり、ここに架けられた大橋は、その両方の国に跨っていたことから「両国橋」と呼ばれたのが地名の由来。

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谷川 彰英

たにかわ あきひで

筑波大名誉教授

1945年長野県生まれ。ノンフィクション作家。東京教育大学(現・筑波大学)、同大学院博士課程修了。柳田国男研究で博士(教育学)の学位を取得。筑波大学教授、理事・副学長を歴任するも、退職と同時にノンフィクション作家に転身し、第二の人生を歩む。筑波大学名誉教授。日本地名研究所元所長。主な作品に、『京都 地名の由来を歩く』シリーズ(ベスト新書)(他に、江戸・東京、奈良、名古屋、信州編)、 『大阪「駅名」の謎』シリーズ(祥伝社黄金文庫)(他に、京都奈良、東京編)『戦国武将はなぜ その「地名」をつけたのか?』 (朝日新書)などがある。

 

 

 

 

 

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