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日本で「国家」の意識はいつ芽生えたのか? 『古事記』では……

「ハツクニシラス」天皇はなぜ二人いたのか?⑦

神・天皇・民との関係を明確化し
人の時代の始まりの天皇となる

奈良県大台ケ原の神武天皇像

『古事記』の中でよく問題にされるのは、大国主神が自分一人で国を作ろうとした時、御諸山の神は祀られたのか否かということだ。通常は祭祀が行われたので国作りは完成し、そこで初めて天上界の神への国譲りが可能となるという説かれ方をする。しかし、御諸山の神が祀られたという記述は実際にはない。従って国が完成したかどうかは不明である。
 しかし、いずれにせよこの神を祀ることによって初めて国が完成すると説くこの神話世界における論理は、結果的に崇神天皇の時代に繋がっており、そして果たされたということになる。崇神天皇は大物主神を祀ることで国を成す根幹を得たのだから、まさにそこで成り立つ国は「初国」ということになるのではないか。

 神・天皇・民という関係が明確化するということは、人の時代の明確化ということでもある。崇神天皇は神を祀るということで神との関係を成り立たせ、税を貢献させることで民との関係を成り立たせた。その意味で、この時代は、人の時代の始まりの天皇の時代ということが言えるのではないか。

『古事記』における人の代の国家意識は崇神朝からと見るべきであろうという見方(倉野憲司説)は恐らく正しい。日向三代の神話の中に、人の世への橋渡し的な要素があるのと同様、人の世の初めの天皇にもまだ人の世となりきらない、神の時代の要素が残っているのは間違いない。神武天皇(カムヤマトイハレビコノミコト)と次の綏靖天皇(カムヌナカハミミノミコト)はその名に「神」を負っているし、何より神を祀るのは人の時代であるという認識があったと思われるからである。

『日本書紀』でも、神武天皇は神の時代と深く繋がっている。しかし『日本書紀』の場合には神武東征伝承において已に多くの祭祀関連記事が見られ、天神、祖神をまつることで征討や政治を執り行う姿勢が強く窺える。なおかつ人民に徳を施し、行き渡らせるという事柄も記されている。

 ハツクニシラススメラミコトという称号が『古事記』では崇神天皇のみであるのに対し、『日本書紀』の場合に神武天皇にも近似する名称が見られるのは、やはりこうした神─天皇─人民という三者の関係が意識されてのことであるのかも知れない。

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谷口 雅博

たにぐち まさひろ

1960年北海道生まれ。1991年國學院大學大学院文学研究科博士課程後期単位修得満期退学。現在、國學院大學准教授。著書に『古事記の表現と文脈』、共著に『風土記を読む』(ともにおうふう)、『風土記探訪事典』(東京堂出版)がある。



 


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