飛び出したベストセラー作家からのクレーム

 そんなこんなで16年5月、選考会が開かれて、押切さんの作品は最後の二作にまで残り、惜しくも受賞を逃し……という展開を見せるなか、「直木賞の二番煎じ」と目される山周賞でも芸能人が候補になったことは、もちろん賞好きの人たちをウキウキさせ、「興味本位」という偉大な武器をもった記者たちが賑やかしに参戦しました。

 ところがここで、意外な方向からクレームが飛び出します。この回『ユートピア』で受賞した湊かなえさんです。
 

 文芸の外の人が2作目なのに上手に書けているという、イロモノ扱いのままで審査された作品と僅差だった。そのような結果が動力になる小説家がいるのでしょうか。怒りや悔しさは力に変えることができるけど、なんだそりゃ、とあきれる思いを力に変えることは、私にはできません。(引用者中略)今現在、そして、5年先、10年先、この海での航海を牽引することができる才能と実力を備えた船たちを、この海で勝負するのだという覚悟をもった船たちを、二番煎じの愚策に巻き込むのは、どうか今年限りにしてください。(『小説新潮』16年7月号「受賞記念エッセイ 山本周五郎賞とは」)

 

 湊さんの真面目さがよく伝わってきます。少なくとも、芸能人小説と一緒に選考されたことで、騒がしい火の粉が振りかかったのは嫌だったんだろうなあ、としみじみ骨身にしみるような文章です。

声をあげた湊かなえ氏。〈写真:アフロ〉

 人が人を褒めて、自信を与え、次に進む活力を生み出す。たしかに文学賞の機能がそれだけだったなら、きっと清らかでやさしく、素晴らしい社会が実現していたことでしょう。しかし、人間が集まるところ、善意もあれば、ヒトゴトだと思って勝手なことを言い出す奴もいる(……私みたいな奴ですね)。文学賞はそのすべてが集結して成り立っていると、私は思います。どうにも不愉快な状況に翻弄され、人は傷つきながら、たくましく生きていく。という世界観は、湊さんの描く小説そのものだとも思うので、きっとこの山周賞でのあきれた体験も、新たな創作への糧にされることと信じています。

 大したフォローになっていませんでしたね。すみません。

 しかし「二番煎じ」とは言いますが、過去の作家たちが、又吉フィーバーみたいな洗礼をまったく受けずに、文学賞から善意の恩恵だけを与えられて小説を書いてきたわけじゃないことは、たしかな事実です。

 私は一読者として、クソもミソも混ぜ合わせた文学賞の多様さを応援したい。なので、山周賞のこういう勇気ある挑戦が、どうか「今年限り」にならないよう願っています。〈2017年7月刊行『芸能人と文学賞』より構成〉
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