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【日本遺産】芳醇な香りに酔う 日本茶800年の聖地へ

日本遺産を旅する 京都府・お茶の京都エリア 【宇治市】【城陽市】【八幡市】【京田辺市】【木津川市】【久御山町】 【井手町】【宇治田原町】【笠置町】【和束町】【精華町】【南山城村】

■宇治茶を育む茶畑を訪ねる 見渡すかぎり茶の桃源郷が広がる

時代とともに発展した特徴ある茶畑の景観美

 宇治茶の生産地には、特徴的な景観をかたちづくる場所が多い。玉露の名産地である京田辺市の飯岡は古墳が点在する歴史ある地域。古墳の丘陵を取り巻くように覆下茶園が広がり、丘陵の周囲には水田、上部に集落と茶畑という垂直配置が特徴的な景色を見せる。

 また、南山城村の童仙房(どうせんぼう)は、標高500mの山間の平坦地に、明治初期に開墾された集落で、茶園と水田が谷間に沿って対をなす独特の景観が広がる。当時、多くの士族らを転住させ、茶を生産する開拓村が開かれた。最も古く開墾された地域から順に番号で呼び、1番から9番まで、その呼び名は今も生きている。当時は荒れ果てた土地で、人々は苦労して山を開墾し、茶畑を開いていったとか。

 和束町は京都府内で最多の茶生産量を誇る煎茶の一大生産地である。鎌倉時代には鷲峰山(しゅうぶさん)山麓で茶栽培が始まっていたとされるが、最も発展したのは19世紀以降のこと。生糸と並んで需要の双璧だった煎茶の輸出需要に応えるため、標高の高い山の斜面を利用した “山なり開墾”が拡大した。ひときわ壮大な“山なり開墾”を見られるのが鷲峰山の麓に広がる原山だろう。斜面を駆け下り、はるか下の低地まで、すべてのすべてが茶畑。全身が緑に染まりそうな、息を飲む景観が目の前に展開する。

 このあたりの茶農家は比較的小さな茶畑をいくつも持っている。家から離れたところに茶山を持つのではなく、家のそばに少しずつ茶畑をつくって広げていったためで、暮らしそのものが茶畑とともにあるのも和束の特徴といえる。

「すぐ隣り合わせの畝でも生産者によって刈り方がちがうでしょう? 刈り方で誰の畑かわかりますし、それぞれに茶づくりのこだわりがあるんです。和束町では今後、畑ごとに個性あるお茶を打ち出していきたいと考えているんですよ」と同町農村振興課の馬場正実さん。

「まるでブルゴーニュのぶどう畑のようですね」と時蔵さんが応えると、馬場さんもにっこり。

「ええ、そうなんです! まさに目指すのはフランスワインの考え方です。畑が変わればお茶の味も価値も変わる。将来的には畑ごとに等級があっても面白いですし、そんな新しいお茶づくりを和束から発信していきたいんです」

 馬場さんの言葉に時蔵さんも頷く。

「畑ごとの個性ある日本茶。ワインのように自分好みの味探しも新たな魅力になりそうですね」

和束町原山
和束町石寺や原山などの地域は、山なりに開墾された茶園と集落が織り成す独特の景観が見られ、府の文化的景観に選定されている。「お茶とワインは似ていますね。茶農家さんと話していると、ワイナリーの生産者と変わらぬ誇りと情熱を感じます」と時蔵さん。

宇治市・白川
谷筋を埋めるように覆下茶園が広がる白川地域の茶畑は国の重要文化的景観に選定。宇治市域の茶園の原型ともいうべき風景である。

京田辺市・飯岡
古墳群のある低い丘陵が特徴的な飯岡は玉露の産地として有名。丘陵地は覆下茶園や集落に利用され、周囲に水田が広がるという独特な景観をつくっている。

南山城村・童仙房
明治初期に京都府の主導により開拓された童仙房に広がる大規模な山なり茶園。府の文化的景観に選定されている。開拓100年を記念してたてられた開拓碑[左]。

木津川市・上狛茶問屋街
杉板塀が続く上狛の街角。現存する茶問屋の建物は幕末のものから大正、昭和初期のものまで多様。茶問屋街の一軒に話を聞いた。山城各地から集められた茶が木津川・淀川を経て神戸港に運ばれ、世界各地へ輸出されたという。

 

八幡市/城陽市・流れ橋と両岸上津屋の「浜茶」
砂地栽培が適する碾茶は、19世紀後期以降は木津川河川敷の八幡市と城陽市にまたがる『上津屋』に浜茶として広がった。時代劇ロケ地で有名な『流れ橋』が両岸をつないでいる。

日本茶のふるさと京都・お茶の京都エリア

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