「ソクラテスの死」が後世に与えた影響「天才? 変人?あの哲学者はどんな「日常」を送ったのか~ソクラテス編」 |BEST TiMES(ベストタイムズ)

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「ソクラテスの死」が後世に与えた影響「天才? 変人?あの哲学者はどんな「日常」を送ったのか~ソクラテス編」

ソクラテス<下>ソクラテスの死・前編

死すら恐れなかった

 ソクラテスの裁判は、当日に抽選で決まった500人の市民からなる陪審員の票決によて行われた。票決に先立つ弁明で、ソクラテスは告発が事実無根であり無罪であることを堂々と主張した。その様子はプラトンの『ソクラテスの弁明』に詳しく描かれている。 

 長い弁明が終了すると、まずソクラテスが有罪かどうかについて投票が行われ、30票差で有罪の判決が下された。

 次に量刑について投票が行われることとなったが、告発者が死刑を求めるのに対して、ソクラテスは国家が自分に何かをするのであれば、オリンピックの勝者が国家から贅沢な食事をご馳走されるのと同じように、自分に対してもご馳走をするのがもっとも相応しい待遇であると主張した。

 

 彼からすれば、自分は国家のためにできる限りのことを尽くしてきたのだから、国家から何らかの処遇を受けるとすれば国家の功労者が受けるのと同じ処遇を受けるのが当然だと考えられたのである。

 もちろん、こういった突飛な提案をするのはソクラテス流のユーモアでもあるが、裁判に臨席していた弟子のプラトンや親友のクリトンらは流石にこのままでは旗色が悪いと判断したのか必死にソクラテスをなだめて罰金刑を提案することとなった。とはいえ、ソクラテスは一文無しなので、お金はプラトンやクリトンらが保証することになったのだが。

 結局二度目の投票では告発者や陪審員を挑発するかのような態度が反感を買ったのか、一度目よりも差が開き、360対140で死刑判決が下された。 

 ソクラテスは、判決は正しくないととらえたが、死ぬ事自体は全く恐れておらず、むしろ死は一種の幸福だとさえ考えていた。というのも、死は全くの虚無に戻ることで何も感じなくなるか、この世からあの世への引っ越しであるかのどちらかだと考えていたからである。

 裁判の後、一ヶ月ほど牢獄で勾留されたソクラテスであったが、死んだ後に亡くなった友人や古い時代の偉人たちとあの世で会えるのを楽しみにしていたそうだ。(後編へ続く)

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大賀 祐樹

おおが ゆうき

1980年生まれ。博士(学術)。専門は思想史。

著書に『リチャード・ローティ 1931-2007 リベラル・アイロニストの思想』(藤原書店)、『希望の思想 プラグマティズム入門』 (筑摩選書) がある。


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