【怪しげな風貌で親しみを集めたソクラテス】天才? 変人?あの哲学者はどんな「日常」を送ったのか。 |BEST TiMES(ベストタイムズ)

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【怪しげな風貌で親しみを集めたソクラテス】天才? 変人?あの哲学者はどんな「日常」を送ったのか。

ソクラテス〈上〉生い立ちから哲学の始まり

本ではなく対話を重視したワケ

 ただ、対話相手となった人たちからは嫌われ、憎悪を集めたそうだ。対話の際には周囲に人が集まり、その対話を聞いていた。当時、賢者として知られた人に対して怪しげな風貌のソクラテスが議論を挑み、ユーモアと毒舌で相手を散々にコケにした末に「あなたは自分には知らないことがあるということを知らない、だからぼくのほうが賢い」と言って立ち去っていくのだから、さぞかし多くの「アンチ」を生み出したことだろう。
 晩年に訴えられ、多数決で死刑判決が下されたのは、こういった議論を続けている内に熱烈な支持者を生み出す一方で、それ以上に多くの敵を生み出していたからだと考えられる。

 たくさんの人との議論を続けていくうちに、その独特のキャラクターと風貌も相まっていつしかソクラテスはアテネの有名人となっていったようで、喜劇作家のアリストファネスが『雲』という喜劇でソクラテスの姿を風刺している。それによると、ソクラテスは道場を開いて弟子を集め、自然についての学問や文法だけでなく、蚊と蚤の生理学や無力な議論を有力な議論へと変える詭弁の術を教え、雨を降らせ雷を落とすのはゼウスではなく雲だから神よりも雲を崇めよと説いていたと描かれている。
 もちろんこれは喜劇での風刺なのでかなり誇張された姿なのだろう。だが、アテネの一般の人々からは若者たちに怪しげな教えを吹き込む危険人物として見られていた様子もうかがえる。 

 ソクラテスは哲学者の中でも最も有名で最も影響を与えた人物である。しかし、彼は一冊も本を書き残していない。哲学者と言えば難解で分厚い本にその思想を書き残すものだが、ソクラテスは本を書くことなく、街で出会った人と議論をすることで「哲学」を行っていた。 

 文章を書くのではなくいろいろな人と会い議論をすることで「哲学」をしたのは、実際に直接会って話をしなければわからないことがあるという考えが元になっている。 
 文章は、読む人によって解釈が異なる場合がある。だから、何かを書いても自分の真意が伝わらず、誤った考えが広まってしまう可能性も生じる。それに対して、直接会って言葉を交わせば、間違った考えが伝わる危険性はない。そのため、ソクラテスは書かれた言葉としての文章を劣った言葉として考え、話された言葉を優れた言葉だと考えていた。

 ところが、現代までソクラテスの思想が知られているのは、彼の死後に弟子のプラトンがその思想を文章にして書き残したからである。現代の私たちが知っているソクラテスの思想は、本人が書いたものですらなく、プラトンのフィルターを通したものだから、本人からしたら間違いだと感じられるものなのかもしれない。たとえそうだとしても、ソクラテスの思想とプラトンの文章がその後の西洋哲学の出発点となり、脈々と読み続けられてきて人類の文化に大きな影響を与えた価値が褪せることはない。

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大賀 祐樹

おおが ゆうき

1980年生まれ。博士(学術)。専門は思想史。

著書に『リチャード・ローティ 1931-2007 リベラル・アイロニストの思想』(藤原書店)、『希望の思想 プラグマティズム入門』 (筑摩選書) がある。


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