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「永遠平和」は理性をもった人間の義務である。戦争はなぜなくならないのか

カントの「永遠平和」論を読み解く

「永遠平和」は理性をもった人間の義務である

 人間は邪悪な存在であると同時に、理性によって道徳的に生き、法に従う能力を秘めた存在でもある。だから、国家間の関係においても、理性は争いを解決するための戦争を禁じ、平和状態を義務とする。そのためにも、人々がかつて法に支配される市民社会を築いたように、国際社会においても諸国家のさらに上に「世界市民法」を置かなければならない。

 

 世界のどこかに、戦争を疎み平和を望む共和制の国家が成立すれば、その国家を中心として諸国家間の平和連盟が広がっていくこととなるだろう。 

 ところがカントは、一つの世界王国が全ての国家を統合することで完全な平和状態が実現されると、かえって法の力が失われ、魂のない専制体制が生まれ、最終的に無政府状態に陥ってしまうとも述べている。

 平和は国家の違いが消え去ることで実現されるのではなく、むしろ違いから生じる緊張状態を前提として維持されるものなのである。

 世界に様々な民族、言語、宗教が存在していることで争いの火種が生じるが、その違いがあるからこそ文化が向上し、お互いを理解して平和を生み出そうとする力も生まれる。
 また、人間の利己心によって諸国間では商業的取引が盛んに行われるが、いざ戦争となれば商業に大きな支障が生じる。だから、商業の精神と戦争は両立せず、商業が盛んになればなるほど、諸国は戦争の抑止へ動くようになる。
 平和とは理性と法だけでなく、様々な力の競い合いと均衡、利己心によってもたらされるものであるということも、カントは考えていた。 

 カントが「永遠平和のために」と題された論考でこのような議論を行ってから200年以上が経つが、未だに「永遠平和」が実現される兆しはない。
 それは、カントが主張したような形での諸国家間の連合や、世界市民法の下の国際社会が実現されていないからなのだろう。

 カントは、「永遠平和」とは理性を備えた人間にとっての義務であり、無限に遠い未来にあるものだとしてもいつかは実現しなければならない課題であると述べた。
 カントが亡くなった後の歴史を見ても、人間が本当にカントが指し示した「永遠平和」への道を歩んでいるのかどうか、まだ定かではない。しかし、それはこれから進むべき一つの道標となるのは確かだろう。
天才? 変人? 哲学者の日常――最古の哲学者・タレス

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大賀 祐樹

おおが ゆうき

1980年生まれ。博士(学術)。専門は思想史。

著書に『リチャード・ローティ 1931-2007 リベラル・アイロニストの思想』(藤原書店)、『希望の思想 プラグマティズム入門』 (筑摩選書) がある。


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