信玄の恩に報いるべく忠節を尽くしたサムライ 内藤昌豊 |BEST TiMES(ベストタイムズ)

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信玄の恩に報いるべく忠節を尽くしたサムライ 内藤昌豊

第二十二回 SAMURAIファイル 内藤昌豊

名古屋在住、日本大好きラジオDJクリス・グレンが語る、
日本が誇る錚々たる戦国武将たちの魅力。
外国人の目に我が国の英雄たちはどう映っているのか

 武田信虎(武田信玄の父)の重臣であった工藤虎豊。彼は、信虎の行動に異を唱えたことから信虎に殺されてしまう。その工藤虎豊の息子が、今日、紹介する戦国SAMURAI、内藤昌豊だ。

 父の亡き後、昌豊は浪人となり(このとき、まだ16歳とも言われる)全国を放浪していたが、武田信玄が父・信虎を強制的に隠居させると、信玄は昌豊に対し「可哀想なことをした。申し訳なかった…」と父の行為を詫びた上に、昌豊を侍大将として召し抱えた。
(この信玄の潔さも、SAMURAIとしてカッコいい!)

 

 1561年には「川中島の戦い」で、その5年後には「箕輪城攻め」で昌豊は大活躍! さらに1572年の「三方ヶ原の戦い」でも活躍し、内藤昌豊は、武田四天王と呼ばれるまでになっていく。想像でしかないが、きっと、一生懸命尽くし戦うことで、信玄に恩を返したかったのだろうと思う。

 1573年に信玄が亡くなった後、昌豊は、信玄の息子・勝頼に仕え「長篠の戦い」にも出陣。苦戦し退去する勝頼に、その時間を与えるため、昌豊は敵陣に突撃し、最後まで戦い、体中に矢をあびながら討ち死にしたとも言われている。

 

 信虎に父を殺され、昌豊自身も大変な苦労をさせられたにも関わらず、自分を呼び戻し召し抱えてくれた信玄と、その息子・勝頼に忠義を尽くしたSAMURAI内藤昌豊。彼の生き様をちょっと知るだけでも、なんだか胸が熱くなる。
 やっぱり、ホンモノのSAMURAIの生き様は素晴らしい。

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クリス グレン

くりす ぐれん

オーストラリアと日本の両国で、デビューから現在まで、常に第一線で活躍し続けるラジオのプロフェッショナル!

幼少時から日本ファンで、17歳の日本留学以来、甲冑師に弟子入りするなど、熱心に日本文化を学んできた日本通。

趣味は戦国の歴史研究、城めぐり、甲冑武具の収集、古武道……など。


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