【藤田 田遺志伝承】福原裕一「日本マクドナルドで人材育成の大切さを学んだことが起業成功の要因でした」 |BEST TiMES(ベストタイムズ)

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【藤田 田遺志伝承】福原裕一「日本マクドナルドで人材育成の大切さを学んだことが起業成功の要因でした」

◼︎FC加盟オーナーから焼き鳥事業へ

 ちなみに今や日本一の焼き鳥チェーンに成長した「全品298円均一 鳥貴族」の創業者の大倉忠司も、「やきとり大吉」を辞めて独立開業したオーナーに誘われて焼き鳥事業を修業した。串打ちから始まり新規店舗の開店、運営などあらゆることを経験して独立、1985年に東大阪市の三流立地で「鳥貴族」1号店を開店したのがスタートだった。
 
 福原は当初「やきとり大吉」のFCシステムに加盟しFCオーナーとして経営したいと考えていたが、加盟金150万円がなかった。病院を退院すると、独立開業資金をつくるために焼き鳥屋に務めることにした。千葉県船橋市で「やきとり大吉」から独立したオーナーの店を見つけて応募し、直ぐに採用された。日本マクドナルドで社員として2年7ヵ月働いたキャリアは“金看板”であった。1995年(平成7年)春、30歳のときのことだった。初任給22万円。最初から店長候補として期待された。福原は店が用意していた木造建て、風呂なし、エアコンなしのおんぼろの寮に転がり込んだ。

 その焼き鳥屋は小さな店だったが、月商600万円は売る繁盛店だった。焼き鳥は「串打ち3年、焼き一生」と言われるほど経験と年季が必要とされる仕事だ。福原は当初、朝10時に出勤して串打ちから仕込まれた。数人でレバー、カシラ、ネギマなど部位ごとに、多い時は1日1000本串打ちした。仕込みを終えると開店準備を全部済ませ、交代で銭湯へ。戻ると賄い飯を食べて午後5時から営業だ。福原は店では洗い場で食器洗いからスタート、間もなく調理場でお燗をつけたり料理をそろえたりする補助的な仕事を覚え、それからホールに出て注文を取り、ビールや1品料理を客に提供した。ここまででおおよそ3ヵ月かかった。

 ちなみに焼き鳥屋が繁盛する最大のポイントは、串打ちした鶏肉の素材の良さと仕上げの焼き加減にある。焼き場は店の顔であり、個人営業の小規模経営では「オーナー社長」(店主兼料理長)が担当する。福原もオーナー社長が1000℃の炭火の焼き台で1本1本手際よく焼き上げるのを隣で見ながら仕込まれた。この焼き場が切り回せれば、店長を任された。福原はこの焼き鳥屋に入ってから、カラオケ店のアルバイトはやめたが、損害保険代理店の仕事は続けた。焼き鳥店に出勤する前の時間や休みの日を利用して営業や更新手続きを行い、年間200万円の収入を確保し、借金200万円の返済に充てていた。

 一方、福原は店員の中では30歳で最年長であり、オーナー社長に日本マクドナルドで学んできた店舗運営のやり方や業務改善案を次々に提案した。入社して3ヵ月経った頃、チャンスが巡ってきた。その焼き鳥屋の支店「行徳店」(千葉県市川市、地下鉄東西線行徳駅から7分)で店長が辞めることになり、福原はまだ焼きの経験が足りなかったが、後任店長に抜擢された。参考までにいえば「行徳店」の規模は本店より1坪大きい13坪28席程度。ただし売上高は本店より少なかった。人員は焼き場にベテラン社員が1人、アルバイト5人体制だった。給料は税込み30万円に上がった。

 福原は日本マクドナルド時代、最後はマネージャーの中のセカンドアシスタントマネージャーの職位に就いていた。店長が不在のときは店長補佐として業務を代行し、社員3~4名、アルバイト60~70名の大所帯を切り回していた。したがって焼き鳥屋「行徳店」規模の運営は朝飯前だった。福原は店には朝10時頃に出勤、串打ちから始め、夜は午前1時、2時まで働いた。
福原は「行徳店」の店長として日本マクドナルド時代に学んだ経営手法を導入、従業員にこう訴えた。

 「元気よく、お客様の目を見て挨拶しよう」
 「お客様が何を求めているのか、先を読んで行動しよう」
 「お客様が私たちの気づかいや思いやりのサービスに感動、再び来店されるようにしよう」

◼︎顧客満足から顧客感動への「おもてなし」

 福原は「ホスピタリティ」(心からおもてなしすること)の大切さを主張した。一般的な接客サービスでは「顧客満足」にとどまるが、これに付加価値をつけてホスピタリティを発揮すれば「顧客感動」が生まれ、従業員と顧客が互いにハッピーになれると強調した。一方では週末には社員、アルバイト全員を連れて六本木に遊びに行ったり、休日は北関東のスキー場へスノーボードに行ったりした。こうして共に働く仲間としてのチームワークを構築、なんでも言い合える働きやすい環境をつくった。さらに福原は社員、アルバイト一人ひとりの給料明細に自筆で感謝や注意事項、アドバイスなどのコメントを書いた。そうすることで励ましや気づきの機会を与え、人間として成長して欲しいと考えたからだ。この習慣は「行徳店」の店長以来ずっと続けているという。

 福原は「行徳店」の店長として従業員が元気溌溂として、明るくフレンドリーな焼き鳥店を作った。「今までにない居酒屋だ」と人気になり、数ヵ月後、店にはリピーター客や女性客がおしかけ、開店すると満席になった。店は坪50万円を売るほど繁盛し、売上高は本店を追い抜いた。オーナー社長は福原の経営手腕を高く評価し、給料30万円にプラスして出来高30万円を払った。これによって月収は2倍にハネ上がり、懸案だった借金の返済にケリがつくのである。福原はこの「行徳店」の店長時代に最愛のパートナーとも知り合った。

 福原は「行徳店」の店長を2年経験する中で、「こうすれば成功する」という店舗運営の成功法を見つけた。具体的には焼き鳥の味の秘訣、集客の仕方、リピート客になってもらうコツ、社員・アルバイトとの接し方、使い方・育て方、働き甲斐にあふれたチームワークのつくり方などについて、自分なりに方法論を築き上げた。これによって、いつ独立開業しても成功できると確信した。1998年、32歳の時のことである。

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中村 芳平

なかむら よしへい

外食ジャーナリスト

外食ジャーナリスト。1947年、群馬県生まれ。実家は「地酒の宿 中村屋」。早稲田大学第一文学部卒。流通業界、編集プロダクション勤務、『週刊サンケイ』の契約記者などを経てフリーに。1985年学研のビジネス誌『活性』(A5判、廃刊)に、藤田田の旧制松江高等学校時代の同級生を中心に7~8人にインタビュー、「証言 芽吹く商才 人生はカネやでーッ! これがなかったら何もできゃあせんよ」を6ページ書いた。これがきっかけで1991年夏、「日本マクドナルド20年史」に広報部から依頼されて、藤田田に2時間近くインタビューし、「藤田田物語」を400字約40枚寄稿した。今回、KKベストセラーズの「藤田田復刊プロジェクト」で新しく取材し、大幅に加筆修正、400字約80枚の原稿に倍増させた。タイトルを「藤田田 伝」と改めて、『頭のいい奴のマネをしろ』『金持ちだけが持つ超発想』『ビジネス脳のつくりかた』『クレイジーな戦略論』の4冊に分けて再収録した。現在、外食企業経営者にインタビュー、日刊ゲンダイ、ネット媒体「東洋経済オンライン」「フードスタジアム」などに外食モノを連載している。著書に『笑ってまかせなはれ グルメ杵屋社長 椋本彦之の「人作り」奮闘物語』(日経BP社)、『キリンビールの大逆襲 麒麟 淡麗〈生〉が市場を変えた!』(日刊工業新聞社)、新刊にイースト新書『居酒屋チェーン戦国史』などがある。

 

 

 

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